いよいよスピ系の人がめんどくさくなってきたな。。
私はがっつりスピに関わってたことがあるけど、
私が関わっていた場では、割ととんでもないサイキックが多かったのよ。
オーラが見える系の人ね。
で、そういう人はそんなに説教臭いとかはないんだけど、
(もちろん人による)
最近スピってる人の大抵が、ただの説教おじさん、おばさんと化しているのが、
見てて痛々しい。
例えば、「人のせいにせず自分の内面を見よう、
自分が変われば周りが変わる」みたいなことを信じて、
人生よくなった、みたいな話とかあって、そこまではいいんだけど、
「まだ気づいてなくて、人のせいにばかりしてる人がいるんだよねえ。
それでは進化できないよね」とか言い出す人ね。
自分がある考えを信じている分にはいいけど、
「それができていないのは、気づいていなくてダメな人、
レベルが低い人」みたいなことを公に言いだしたら終わりよ。
「自分の機嫌は自分で取れ」の話と同じですね。
これも結局他人のせいにして責任逃れしてるだけなんだけど。
あとね、自分がそれに従って、人生変わったとかはいいんだけど、
人によってそういうセオリーみたいなのは違ってて当たり前。
どの考え方を採用するかはその人の選択でいいし、
性格によって、何がプラスに働くかは違うかもしれない。
それにね、もう十分傷ついていて、自分が変わるとかはそんなに必要なくて、
本当に環境要因で、ガチャに外れたみたいな人も絶対たくさんいると思う。
普通に自分のせいではなくて、癒されないといけないようなパターンとかね。
そういう人にばかり、そういう言説は届きがちなのよ。
何故なら自分が悪いと思わないタイプのほうが、
大抵周りにストレスをまき散らしてるから。
そういう人にはほとんど何も届かず、大して反省とかしなくていい人にばかり、
「自分の考え方を変えよう」みたいなのは届きがちになり、
さらに自分を責める、みたいな、
ただの悲劇みたいなことも、かなり起こっている気がする。
それ見てもわかるけど、頭でどうにかしようとしてどうにかなることなんて、
ほぼないですよ。
「自分を変えれば周りが変わる」の類の言説って、
「私は気づいてて偉いですよー」みたいな、
説教したいおっさんおばはんの自意識を満たすだけのために働いてることがほとんどなんですよ。
自分は、周りにいる愚鈍な人間に比べて目覚めている、
真実がわかっているみたいに振る舞いたいだけ。
そんな講釈を垂れている暇があったら、
体動かしてやれることはいくらでもありますよ。
私が、音楽や絵を描くことが好きな理由は、
言葉でどうにかできることなんてほとんどない、
他人や自分を癒せることなんてほぼできないとわかってるからなんだよね。
愚痴や不満を他人はまず聞いてはくれないし、
聞いてくれるのは自分が愚痴を言いたい人ばかり。
そうなるとめっちゃ不毛な付き合いにしかならない。
それに、本当に傷ついてしんどいときって、
現状を説明することすらしんどくてなかなかできない。
しかも、説明の途中で「我慢が足りない」「愚痴っぽくてうざい」みたいな、
口封じの非難が飛んできたりして、話すことすらできなくなり、
さらに傷ついたりね。
歌ったり楽器弾いたり、絵を描いたり、工作や手芸をしたり、
植物育てたり、たとえばキャンプしたりというのは、
そういう頭で考えることや、人に現状の説明とかをしなくても、
気がまぎれたり、気持ちが落ち着いたり、楽しくなったりするから好きなんですよ。
理屈でさ、人をねじ伏せるとか、言うことを聞かせるなんて、
ほぼ不可能でしょ。反発されるだけだし。
だから理屈や言葉ではなく、
違った視点から自然と気をそらせるとか、
いつの間にか変わってる、みたいなほうがまだ有効なのでは、
という気がしてる。
真正面からぐいぐい理屈を押し付けたりしても無理だよね。
北風と太陽みたいなものかな。
こんなことを言っても、家族とかに全否定され、
ボロクソに言われてきましたけどね。
手が付けられない。。