さっきNHKで、「不寛容社会」って討論番組やってたんだけど。
もうさ、申し訳ないけどああやってNHKで討論した時点で胡散臭いというか、
偽善にしか見えないんだよね。
結局毒にも薬にもならないことしか言わないっていうかさ。
もともと、ネットとかスマホの普及によって、
「見るはずのなかった知らない人の意見を見るはめになった」
という側面もあって、
ネットの普及率が低かった頃って、むしろレベルの高い人のほうが多かった。
「ネチケット」とか、けっこううるさく言われたのよ、チャットなんかでも。
いろいろ親切に教えてくれる人もいっぱいいたし。
それこそ「顔が見えない」というだけで、普通に話せる人のほうが多かったんですよ。
HPとかもすごいいいのたくさんあったし。
私がちょっと思い出したのは、やれ不景気だ、デフレだ、とマスコミが言い出した頃の日本で、
別にそんな気は無かった人たちも、そういう気分に染められちゃったような感じがあって、
実際景気は高度成長期よりはよくなってなかったんだろうけど、
ああやって不景気不景気言われることで思い込まされる面もあって。
いつのまにか閉塞感とか、テンション下がったりとかそんな感じになった。
不寛容というのも、ネットで発言しない、ネットを見ないという人からしたら、
まったくぴんと来ない話かもしれないし、
マスコミの不自由さも、自主規制とかスポンサーがどうたらの話だと思うしさ。
あれ見てたら、まるでアイス・バケツ・チャレンジを「肯定するのが当たり前」
みたいに見えたんだけど、私なんか全く興味なかったし。。
むしろネットの普及で、批判されるべきことがちゃんと批判されるようになってよかった面もあると思うよ、
セクハラ議員やら子供を追い込む学校の教師やら。
みんなが不寛容になったみたいに言われるのはどうもなあ。。
エンブレム問題は確かにやりすぎで、
ネット発信でリアルを変えてしまったエポックメイキングな事件だとは思うけどね。
STAP騒動(コピペ・捏造云々)も、元々ネット発信ですからね。。
ネットをやっていると、「見たいものしか見なくなる」
「自分とは違う考えを受け入れなくなる」とかも言ってたけど、
ただでさえ、情報多すぎたり人の意見に付和雷同する人が多いのだから、
見たいものだけを見て息抜きする場だったんですよ、ネットは。
リアルではそういうわけにもいかんでしょ。
リアルでは常に人に譲ったり、意見言うのを我慢したり、
誰とも共感し合えなくて不安を抱えていたりすることが多いわけで、
で、私のように理解しあえる友人とかがほとんどいない者にとっては、
「同じような意見を持つ人がいると知ることで気持ちが安定する」
という効能もあってさ。
だってそれくらいないと、独身女なんて絶望してとても生きられませんよ、地方では。
リアルにいても見たくないもんばっかなんだよ、とにかく。
なんか満たされた人たちが、大上段に構えてネット批判をしているようにしか見えなかった。
もともとネットは孤独な人の集まりで、隠れ家だったのにね。。。