まあね、何が言いたいかというと、
「あんたらも、ネットが普及した今の時代に生まれたから、
そうやって生き生きと他人を叩いてるけど、
90年代に青春送ってたら、当時の若者と似たような感じのこと言ったりしたりしたと思うし、
いまさら責任負えって言われたらあんたらだって戸惑うと思うよ?」
という感じかな。
置かれた時代によって違うことを、個人が責任負えって言われてもねえ、という。
生まれてくる時代選べませんもん。
しかも、ネットが普及してほやほやの今の時代もさ、
後から見て嘲りの対象になることも容易に想像できる。
「令和すげえとか言ってるけどダセェ」とかさ。
いずれ強烈に自分に返って来ると思うよ。
だからといって何もせずに生きることはできないのだから。
ただ私は、シロクマ先生の記事にはけっこう違和感はあって、
わかる部分もありつつ、
どちらかといえば、今の時代の方が、
昔自分が望んでいた方向に変わってきたという感じがある。
一概にディストピアだとは思わないということ。
確かに、気分の変動でいちいち精神疾患扱いされたり、
そういうものを当然のように排除しようとするのは非人間的だと思う。
けど、やたらに殴ったり怒ったりする人を見て、
「なんでかなあ、そこまでする必要あるかなあ」というのも、
割にずっと持っていた感覚で、
義憤にかられて怒るとかはわかるんだけど、
ものすごく単純な感情表現や、大きい声の人以外は、
「何を考えているかわからない」で処理されてしまう地方民の中にいるのはとても辛かった。
集団の中で、強く、声が大きく、わかりやすく目立つ人しか、
「正しい」とされず、
それ以外は「オタク」「根暗」「気持ち悪い」みたいに長らく顧みられない状態だったから、
それが変わってきたとすれば、私にとっては良い変化だと感じる。
物静かだったり情緒が安定している人らは、
まるで「いる価値がない」「いてもいなくても一緒」という扱いだったよね、昔は。
「存在感がない」とかいう言葉もけっこう流行ってた。
全部私には受け入れがたい、くだらないことだと思うから、
むしろそういう人の方が評価されるようになったのであれば喜ばしい。
ま、それもいつまで続くかって話ではあるよね。。