これも一つの癖みたいなものかもしれないけど、
人と少し深い話になった後は、
丸一日くらい人と接しない時間を持って、そのことをリセットしないと、
なんだか先に進めなかったりする。
そこらへん、自分はすごく嫌な人間だと思うけど、
「この人は信頼できる」という人以外の、
それほどレベルの高くない人の本音を聞いても、
それは無駄で足を引っ張る情報にしかならないんですよ。
要は害になるというか。
だからその毒出しというか、一度まっさらにしないと動けなくなる。
そのくらい、「他人のつまらない意見」というのは壁であり有害なのよ。
なので、たとえば「一緒にご飯食べよう」とか、
「一緒にテニスしよう」とかはよくても、
「お茶しながら音楽について語る」とかなると、相当に人を選ぶ。
語る内容が薄いと、害にしかならないし、
私にとっては時間の無駄だからです。
どんなに相手のことを好きでもそれは同じ。
相手が嫌いではなくても、たとえば政治の話とかでレベルが低いとなると、
一切話したくない。
だって無駄でしょ?
大学レベルの勉強をしている人が、
小学校1年の算数とかを小学生に指南されても困るのと同じ。
これさ、上目線みたいに言われるけどしょうがないことよ。
「おまえに1+1を教わってもなぁ」ということです。
昨日、だいぶ世代が下の子にいろいろ語られたんだけど、
あまりにも知識量が違うので少々辟易した。
「この人になら話せる」という相手は限られているので、
そういう相手以外とは一切話したくないのよ。
よく、「それだけわかってるなら何かすればいいのに!」と言われるんだけど、
うん、自分のタイミングでやるし。
余計なアドバイスいらんし。
あと、「方法論がどうたら」の話にもよくなるんだけど、
数年前にさ、行ってたスクールのスタッフが、
「今のアニソン界はすげえ!」みたいなこと興奮して言ってたけど、
おせえよ。
引くほどおせえよ。
もうその時点でダメだから。
そんな人に何か教わろうと思うと思う?
思わねえよ。
もうそのスクール自体全部ダメだという感じがした。
一周回ってアナログの手法で、とかならまだわかる。
いまさら「PCで音楽作れるし、動画もあげれる!
すごい時代になった!」とか言っている時点で、あーダメだと思う。
動画をあげれるのはいいけど、
不足しているのはソフトの方なんですよ。
中身のある動画をあげられる才能や気概が不足しているのであって、
ハードがどんなに進化しても、表現するものを持たないのが一番辛い。
これって、テレビが高画質になった時から言われてるじゃん。
「そんなに高画質なものを使って、くだらないバラエティとかを見せられるんですね」
みたいに。
どのようなハードを使おうが、すごい人はすごいの。
発信する側の問題でしょ。
いまさらニコ動に感動しているようでは、
もうダメってことですよね。。。