今マツコとつんくの対談見てたんだけどさあ。
完全に「成功して勝ち組」の話だったのはガッカリだなぁ。
自分の周りには、めちゃくちゃ上手くても才能あっても、
全然売れていないミュージシャンもいるし。
だから、絶対に武勇伝を語らないし上からものを言ってくることもない。
あと、理屈っぽく成功論を語ることもないわけ。
それはほんと、精神的に助かっていると思う。
世間にはさ、成功論みたいな本は溢れかえってるし、
「こう考えれば運を引き寄せる」みたいな言説も多いけどさ。
そういう上昇志向で話すのは私はどうしても向いていない。
うちの姉ですら、何かそういう話をするんだよね、
「今の職場はこうこうで、こういう社会がどうのこうの」みたいな。
正直、同じ職場にいないからわからないというのと、
理屈語るほどの地位にいんの?という冷めた気持ちにもなる。
なんせ、成功者が語ってるそういう話すら鼻につくのだから、
本当にそういう物言いが嫌いなんだろうね。
マツコは、「自分を引っ張り上げてくれた、手を差し伸べてくれた人のおかげで今がある」
と謙遜気味に語ってたけど、
「そういう相手を見極める目は自分には絶対あると思う」とも言っていた。
そういう話聞いても、「なるほどなあ」とか全く思わないのよ。
すべてはたまたまであり、
そういう相手を見極める目が自分にあったから今がある、
と思った瞬間に驕った感じになると思う。
やっぱり、「パンピーとは異なる特殊な才能を持った私」みたいな感じに聞こえるから。
あくまでも、「あなたがたとは違う特別な人間だからこうやって売れたんですよ」
と言っているように聞こえてしまう。
でさ、そういう話を聞いた人は、「マツコってすげえ」
「あんなんだけど人を見る目はあるんだなあ」と感心したり、
「どうやったら人を見る目を養えますか」みたいな質問までしそう。
もちろんさ、なにがしかの自信をもって生きるのは大事だと思うけど、
そう言われると、「人を見る目のない自分はダメだわ」
という気持ちにさせられるのと、
「人を見る目を持ち成功できない自分はダメだ」まで行ってしまう。
でも、世間の大半はマツコとは違う立場なんだよね。
何のためにマツコにアドバイスを求めるのかの気持ちはわからない。
それと、東京は意外と甘いということ。
特にああいうマイノリティには甘い。
多くの人が成功を夢見たり上昇志向を持っている場所なので、
それはそれで面白いけど、
あれだけ謙遜して語るマツコにですら、フワフワしたものを感じる。
全ては砂上の楼閣というか、
本人も言っているように、いつまでも続くものではないというか。
世間が注目してるとかメディアで売れているとか、
私はもはやそういうものに興味があまりなくなっているのかもしれない。
売れているものでもいかにつまらない、
どんだけ下駄を履かせられているかというのを、
けっこう知ってしまったからかもしれない。
「売れた」とか「メジャーになった」ということが、
必ずしもいいものとイコールではない、というのは、
80年代のサブカルチャーでは常識だったんだけど、
もうそういう考え方の人はいないのかもね。
理屈抜きで、感覚的に合わないんだよね、メジャーなもんは。
結局最大公約数になってしまうから。
特にインタビューで語られるとうーん、ってなる。
気持ちなんてそんな簡単に言葉にできますか?って思う。
あんまり言い過ぎない方がいいんじゃないかなあ。
それと、売れていない人の言うことを、すべて
「負け犬の遠吠え」で片づけない方がいいと思う。
確かにそういうふうに見える、聞こえることはあると思う。
でもそれって、やっぱ成功に執着してる人が足を引っ張っていると思うんだよね。
よくさ、ツイッターなんかで、
「フォロワー数十人のお前ごときが、フォロワー数十万人の俺によく言えるな」
みたいなこと言う芸人とかいるけど、
あれ見た瞬間、終わった人だなーと思う。
フォロワー数十人でも、その人の方がはるかにレベルの高い考え方かもしれない。
売れてるとか支持されてることが全てというのは、多分、
視聴率を気にするのと同じ心理でしょうね。
そういうのって、価値って、目に見えないんですよ。
しかも、個人個人で違っていて当たり前。
フォロワー数百万人で安心しているようではもうダメだね。
それ単なる知名度だから。
テレビとか出りゃ稼げるから。
だからイコール素晴らしい人間とか成功者とか、
それはさすがにないわ。
でもSNSに取りつかれている若年層はそう思うんだろうね。
気の毒ですわ。。