なんかさ、速水健朗さんがけっこうオリーブに言及していて、
ああいう分析自体はそこそこいい線行っていると思うんですよ。
映画やドラマに出てくる東京の風景からいろいろ分析した本も読んだし。
ただ、やっぱ男性目線、しかも商業誌目線から見たそういうものは、
あの時代を覚えている者から見ると少し違う。
んで、今から考えると、やっぱオリーブはあざといよね。
絶対的に金持ってる家の子しかああいうファッションやライフスタイルを真似できないし、
あと、読者モデルにも冷たかったよ。
それこそ選ばれた雰囲気の、オーラのある子しか認めなかった。
観月ありさとかさ。
けど、ナチュラルファッションにつながるものとして、
だいぶ手前に「りぼん」などの少女漫画誌があったとして、
ああいう雑誌の、読者への接し方はものすごく優しかった。
全プレとかもよくあったし。
ああいうものは、いまだ変にメディアに取り上げられて消費されていない貴重な世界だと思うよ。
でさ、そういう少女時代を封印して、
いろんなものを断念して大人になった女性が大勢いた、
みたいな本があり、その解説で宮台さんが、
「彼女たちが断念したものの質は、今後の人達が明らかにしていくんだろう」
みたいなこと書いてあって、なんか「無責任な」と思った記憶がある。
それ読んだ時はさっぱり意味がわからなかったけど、
結局はピュアな少女性みたいなことに尽きるんじゃないのかな。
「いつまでも少女ではいられないし、あこがれを追い求めてもいられない」
と観念し、
それぞれ結婚とか仕事とかに生きたわけでしょ。
けどさ、いまさらになって羽生君に入れあげる中高年ファンが大勢いるみたいなのを見ると、
断念とかしてないじゃん、ただ抑圧しただけじゃん、と言いたくもなってくる。
結局は社会の要求に逆らえず、
好きでもない男と仕方なく妥協して結婚したんでしょ、みたいな。
羽生君に入れあげる人はちょっと怖いよ。
だってさ、昔だってけっこう長髪がはやって、GSバンドとかさ、
ああいう王子様っぽい感じの人は存在したわけじゃん。
それでもまだ王子様を求める心境がちょっとよくわからない。
うちらの若いときは、長髪の子はいなかったし、
いたとしてもチャラいキムタクとか、ギャング系みたいな、
ガラの悪い、王子様とは対極の流行だったから。
それですら、羽生君に入れあげるほど夢見る夢子さんではないなあ。
しかも、我々独身とは違い、結婚してだんなもいるというのに。。
なんかね、リバーズエッジの世界に対しても、
少しそういうのを思う時がある。
結局、それまでの流行とか、フワフワした少女性みたいなものに対し、
「全部ダセーんだよ」と見下し、拒絶した結果、
ああいう廃墟みたいな世界しか残らなかったわけよ。
何がピュアだよ、と、セックスに興じ、クスリでハイになり、
暴力や過食で自分も他人も傷つけて、
けどそもそも、「自分はピュアなんかじゃない」と、
そこでかっこつけたことが元凶だと思うんですよ。
りぼんを卒業した女性も同じでしょ。
「自分はもう少女ではない、子供っぽい物には見切りつけて現実に生きる」
みたいに自分から行ったわけじゃん。
それはそれで切実かもしれないけど、
「断念」というほど立派なものではなくて、割と単純なかっこつけに思える。
そうしないと周りがうるさいから、みたいな。
しかも、そういうのは年々ひどくなってるよね。
とにかく、素のままの姿や気持ちを嫌うし、
見た目とかも加工しまくりだし。
私は、まつ毛エクステとかも苦手なんですよ。
あれすごいわかるんだよね。
不自然にまつ毛が長いから。
職場でのカラコンも好きじゃないなあ。
でもとにかく、作り込む方にどんどん行っていて、歯止めが利かない状態だと思う。
それは結局、いろいろいじくり回さない、そのままの自分とか、
そのままの気持ちとかに嫌悪感があるからなのかなと。
もうその時点で病んでるよね。
自分を隠すとか、虚飾の方向にしか進んでいない。
まぁ、止まっているのも退屈だし、
いろんなことをやるのはいいんだけど、
結局自分は自分のままでいいんだという基本は忘れない方がいいのかも。
別に、必死になって作り込んだり、周囲とノリを合わせなくても、
普通に生きていくことはできる。
必要以上に人目を気にしないということかな。
ほんとに最近、時間を戻せるなら戻したいとかなり切実に思うけど、
もし戻れるなら、「あんまりオリーブとか渋谷系とかに感化されんなよ」
と当時の自分に言いたい。
ああいうの、かっこつけの極みですからね。
もちろん好きな曲もあるし、カルチャーとしていいものもあるけど、
あのムーブメント自体は、「ダサい人間を排除する」
という空気が強烈に働いてたから。
しかも基準がよくわかんないんだよね。
すごくよく覚えているのが、当時クラブによく行ってたんだけど、
地元の友達が、私が着ているものを見てめちゃくちゃ小バカにしてきたことがあって、
要は「オリーブ系じゃない、ナチュラルなオシャレじゃない」と言いたかったらしい。
知らんがな汗
けどそういう、ものすごいエゴに基づいた流行ですよ、あれは。
その時の私は、キャスケットかぶってなんかアーティストTシャツか何か着てたと思うけど、
オリーブ少女から見たら、70年代な感じはダサかったんでしょうね。
もっとシックでナチュラルな、それこそ白シャツにチノパンみたいなかっこしろよと思ったのかね。
余計なお世話だわ。。
もうその友達とも10年以上会ってないし、
というか地元に友達とかも一人もいない。
そういう世代なのよ。
ファッションとかで一方的に人を切ったりするようなね。
それに比べれば、ダサいと言われたり、
安物でも満足して着ている今の若者の方がよっぽどましだし、かわいいですよ。
正直、「え?いい年してそんな安もんのコート着んの?」
とか思う時もある。
それでも、次々と流行のものを嘲笑し否定し続けた、
昔の終わりのない差異化の争いに比べたらなんぼかまし。
もう今じゃ、何でもそこそこ洗練されて、何がダサいのかもわからないしさ。
そういう不毛なマウンティングが終息しているのだとしたら、
けっこう喜ばしいことかもしれない。
いやーほんと昔は大変だったわ。。