diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

ふー。

さっきライブ見に行ってて、

近くにいた出演者だか、バンドやってるらしい女の子が、

「話が上手い人は音楽も上手い、会社でも好かれる、なんでもうまい」

とか力説してたけど、まぁそうとも限らないんだよね。

要はバランスというか、トークだけ面白くて、

音楽がうんこ、とかだとけっこう悲しいし。

あんまないパターンだけどね。

 

私は、客いじりをするMCとかが嫌いで、

あと、「いかにも話が上手いでしょ」の体でクソつまんない、中身ない、

みたいなのは、

単に下手な人よりもみっともないと思う。

今日そういうバンドがいたので。。

面白いこと言いますよー、という空気は出すんだけど、

結局噛んだり、グズグズになったりね。

 

地方民の弱さはメンタルなんだよね。

ただひたすら、温室のような場所で親にかわいがられた子が多くて、

都会育ちのサバイバルを知らないので。

あと頭で考える習慣がない。

常に近くにいる人が話しかけるので、反射で動いていて、

一人で動いたり、自分の頭で考えたことがない子が多い。

これって音楽やるうえでは致命傷だと思うなあ。

 

音楽ほど孤独で、個人の資質にゆだねられるものもないと思う。

演奏したり、人前で披露するとか、そういう場では、

いかにも派手で社交的な場に思えるけど、

作るときの孤独さってなんかすごいもんがある。

まあ私はPCで作ろうとしてるので余計かもしれないけど。

 

けどまぁ、ライブハウス行くと大抵ある、

小寒い瞬間が少なくて助かった。。

 

んー。

さっき、くりいむ上田の番組で、

小泉さんの郵政改革の話をしてたんだけど、

まだあの頃までは、政治に方向性があったのかもしれない。

民営化が何のためにあったのか、当時はよくわからなかったけど、

今の都政のように「とりあえず人気ある人、見栄えのいい人選んどけ」

みたいな、

どこに向かうつもりなのか全くわからない感じじゃなかったと思う。

まだ志があったということよね。

「こっちに行かないと政治は良くならない」みたいな。

 

私は、最近の「体験型娯楽」みたいなやつは、

気休めに過ぎないような気がしてて。

体験って、確かに貴重だし、

やってみないとわからないこともあるけど、

とはいえ、世の中の全てのことを体験することはできない。

しかも、体験することで自信を失ったり、

「やめときゃよかった」ということもあるかもしれない。

テレビのような受動型娯楽を低く見る風潮があるけど、

かといって、無駄に体動かして満足するというのも、

さほど賢いとも思えない。

ニュース番組とかも、視聴者参加型が面白いかというと全然そんなこともないしね。

 

SNSを見ているとよくわかるんだけど、

結局、投稿することがないからわけわかんなくなってると思うんですよ。

でも「参加してる」という立場にはなりたい。

けど、みな道具に使われているだけになってると思う。

芸人とかが、ドヤ顔で「ツイッターやってますよ!」

とか言うのは、

「自分はネットに疎くない、いまどきのもんにもついて行ってる」と言いたいだけのことであって、

何を発信するかはどうでもいいんだよね。

 

ネットがまだPCだけの時代は、

それこそ「何を発信するか」が最重要のミッションであって、

まあ、ブログでもとりあえずアカウントだけ取るとか、

そういうのはあったよ。

けど、何も思いつかないならあえて書かないし、

無駄に更新するとたしなめられたりもしてた。

で、私はそれでいいと思うんですよ、本当に。

書くことないなら放置でいいと思う。

 

FBに関しては、ウケ狙いの投稿してもいいんだけど、

結局、「この投稿、いいねが1個もついてないね」みたいに、

まるで公開処刑みたいになるので、絶対書けない。

ブログ時代は、何の反応もないブログサイトが9割以上だから、

反応ないのが当たり前で書けたけど、

SNSはそういうわけにもいかんでしょ。

特にそこらへん、FBは不粋で、

「なんかかわいそう」「プークスクス」みたいになる場には、

さすがに入っていきたくない。

あそこは、あらかじめ地位や知名度のある人が、

フォロワーを何千人と抱え、

投稿すれば一瞬でいいねが何百とつく、

それをひけらかすツールだよね。

もしくは知り合いが同情でつけてくれるとか。

残念ながら私がネットに求めていたのはそんな世界じゃない。

 

逆に言えば、誰からも何の反応もなくても何かを表現できる、

ある程度のメンタルがないと昔はいられなかったし、

何かしら言いたいことがあるのが普通だったと思う。

今はもう、それこそどうでもいい飯や動物の写真に席巻されてるでしょ。

あんなもん一番どうでもいいわ(汗)

あんな毒にも薬にもならない投稿が一番恥ずかしいのにね。

PCユーザーが生きづらいのは当たり前なんですよ。

 

どこに向かえばいいのかわからない、

何をしたらいいのかわからないという時は、

どうすればいいかはっきりするまで、

それに正直でいるしかないと思う。

何もないのに、あたかも「何かすごいことをやります」

みたいなのは嘘つきだよね。

ブログ開設して、「ネタ切れしたな。。。」とか、

「ネット界つまんないな。。」という時期を長く過ごした自分には、

インスタとかを必死でやる人間の気が知れない。

「いいね」集めとかさ、よくやるよ、ほんとに。

私にそんなエネルギーはもうない。。。

うーん。。

やっぱ、ネットを始めたのが東京に住んでる時だった、

というのが、いまだに尾を引いている感じするな。。。

 

今って地方にいて、

一応FBとかもほぼ放置だけどアカウントあるんですよ。

で、そこに「○○がいいねしました」とかが流れてくるんだけど、

全てにおいて「知らんがな」という投稿ばかり。

要は「友達の知り合い」のことって全く知らないし、

あと、FB通して顔とかその人の信条などを知ったところで、

マイナス面の方が大きい。

いきなり深い投稿とか見ても賛同しにくいからですよ。

 

だってさ、よく知らん人に、

いきなり「この記事感動しますよね?素敵ですよね!!」

とかテンションMAXで言ってこられても、

「誰やねん」と思う方が先で、

同調もできないし、何の感情も動かないのでスルーするしかない。

そういうのが多すぎると疲れてくるでしょ。

 

以前のネット界は、そういう、

「誰やねん」「どこに共感したらいいの」みたいな記事は非常に軽蔑されていたし、

公共性のあるものを投稿する、というのは暗黙の了解としてあった。

「多くの人に向けて公開している」という自覚があったからだよね。

 

SNSって、あたかも友人同士で閉じてるような感覚で、

多くが私的なことを垂れ流してるけど、

友達の知人はすでに他人であり、

他人のプライバシーには興味がないばかりか、

「知ったところで困る」みたいな、

中には困惑するような書き込みもある。

離婚したとかそういうやつね。

そんな、知らん人のプライベートを、いきなりネットで知らされる方の身にもなれよ。

で、厳密に言えば全くの他人とも言いづらいし、

率直に言えば見たくないんですよ。

 

多分、感動系の投稿がけっこう困惑するのかもしれない。

親孝行ネタ、「こんなイベントやって達成感!!」みたいなのとか。

行ってない人には何にも伝わらないし。。。

そのようなものばかりを延々見なければならないってきつい。。

 

自分が書いていることとの温度差があまりにもあって、

共感できない自分が悪いみたいな気さえしてくる。

 

相変わらず、特にFBはろくなもんじゃないと思う。。。

あー。。

ワイドナショーはもうだめだと思うね。

何かと「芸能人はプライバシーを晒されて被害を受けている」

「それを糾弾するのは大事なこと」とか言うんだけどさ。

 

あんまり言われるとなんかうっとうしい。

それこそ、某スマイリーみたいなところまで行けば当然同情するよ。

キリショーとか。

でも、さくっとその場で注意とかすれば終わることを、

わざわざテレビで何度も言うのがどうもね。。

 

私の場合は、昔からサブカル好きだし、

バンドマンとかの有名人を実際に見たり、話したりすることも多かったけど、

彼らはむしろ「特別扱いされたくない」という感じで、

「こっちは芸能人だから気を遣ってください」みたいなの全然なかったよ。

ネットもないから晒しあげとかもなかったし、

多少のことは織り込み済みで、いちいち怒るとかは少なかった。

マナー違反の人も少なかったし。

「手作りカレーをビニールに入れてプレゼントしてくるな」とか、

そういう注意はあったけど。。。

 

よく最近「繊細チンピラ」とか言うけど、

そういうのって芸能人から始まっている気もする。

妙に被害者ぶるというか。

けど何千万人に見られる商売してて、

有名税的なことが皆無にはならないんじゃないのかと。

 

真木よう子さんがツイッター始めて、

ネットでは死語みたいなことを書いた、とか見たけど、

実情を知るとけっこう残念なことも多い。

ワイドナショーみたいなのも、要はガッカリするんですよ。

「やっぱその程度の意見しか出てこないのか」と。

 

私はアメブロ芸能人ブログも嫌いで、

そもそも「彼らの方が一般人より偉い、すごい」とかがないから、

必要以上に気を遣わないし、

つまらないと思えば見ないだけのこと。

だってさ、読むならそれなりの文章力のある人の本とか読みたいでしょ。

リアルタイムで関わる必要性も全く感じないし。。

で、何故か自分で開設してブログ書いてるくせに、

読んでます、っていうと「キモイ」扱いする人までいるでしょ。

意味わからんね。

 

どうもカチンと来たのは、

さっきカレーの食べ方の話してたんだけど、

「スプーンの持ち方が変」とかで盛り上がってて、

変は変だけどああいうのはあまりどうでもいい。

そもそも、ネットであれが話題になったのっていつだよ。

もう忘れるくらい前なんですけど。。

え。。

うーん。。。。

 

「事件です!」って言ってる某マツイ棒の人が、

「離婚が成立したら新しい人生を歩む」って言ってるらしいけど、

それはさ、「最高裁まで争う」という話と全くかみ合わない。。

 

離婚調停ってさ、離婚にあたっての条件とかを決めるもんという気がして、

もしくは片方が離婚に応じない場合に法廷で離婚を勝ち取りたいみたいな、

そういうやつじゃないの?

 

「何が何でも謝らせたい」とかって、

裁判は成立するのかねえ?

 

もちろん、私も無感情というほどではないので、

気が済まないとかはわかるんだけど、

だとすれば、何が何でも離婚しないとか、

そういう抵抗ならまだ理屈が通ってる感じする。

未練もなく離婚後のことも考えている状態なら、

そもそも調停の意味もあんまりないように思うんだけど。。。

 

もともと、私は声の大きい人とか、

言うことが芝居がかったような人は苦手なので、

関わり合いにならないタイプの人なんだけど。

それにしても理解に苦しむ。。

尾行の話はどこに行ったんだ?汗

んー。。

さっき、テレビでの渡辺直美トークを聞いてて、

「笑いの多い世界がいい」と言ってて、で、

SNSなんかで他人を中傷している人のフォロワーが数人だったりすると、

『やっぱりこういう人は求められてないんだ』と思う」みたいに言っていて、

これがSNSのマイナス面ですよ、まさしく。

 

あのね、芸能人や有名人は、ああいうもんの「フォロワー数」で、

「どれだけ人に支持されているか」を決めてるようだけど、

全く違うし、あと、

フォローというのは嫌いだからわざわざウォッチしてやろうという心理もあるわけ。

フォローしたものの全く見てない場合もあるし。

 

そういう理屈を突き詰めていくと、全ては「数の暴力」に帰結する。

要は「多くの人に支持されている人こそ正しく、

少数意見は無視していい」ということになる。

 

物心がついたときにSNSがあった世代って、ここら辺が怖いよねー。

 

言うまでもなく、全然売れていないけど良作とかもあるし、

かえって、変な消費のされ方を防ぎたくて、

ファンがわざわざ人に紹介もせず黙ってることも多いんですよ。

 

まぁ、数字が全てのテレビの人はしょうがないかもしれないけど、

何もかもに対して「売れてるものこそ正義」となり始めたら、

本当に恐ろしいことになる。

 

今はまだ、そういう世代は少ないけど、

だからこそ、ネットを大人になってから使い始めた年長世代は踏ん張ってほしい。

けどさ、ロンブーの淳とかが、自分に絡んできた相手に、

「こっちはフォロワー○十万人、お前は数十人」とか言ってたのを見ると、

暗澹たる気持ちになる。

ああいう他人の見下し方って、それこそ軽蔑の対象になるべきだよ。

テレビに出てる自分と単純比較することがそもそもおかしい。

「テレビに出てそこそこ人気が出る」ことは、知名度は確実に上がるけど、

そのことがイコールその人が優れている、

一般人よりも価値があるということではない、

だってテレビは自動的に知名度を上げるメディアだというだけの話で、

そのことで他の人より偉いわけじゃないよ。

フォロワーが有象無象であっても支持さえされてれば偉い、

というのは違うと思うけど。

 

私が接してきたサブカルチャーは、

ファンにそんな暴言を吐く人は皆無で、むしろ、

孤独な人にほど「自分らのライブおいで」とか言ってくれるような、

暖かい人ばかりだった。

それは彼らも孤独を味わっているからで、

そういう信頼関係が昔はすごくあったんだよね。。。

 

なんかさあ。

SNSで絡んでくる相手に対して、腹は立つだろうけど、

一般の人間の立場的な弱さを少しは考慮できないようでは、

人前に立つ資格あんまないと思うよ。

というより、SNSが諸悪の根源でもある。

ツイッターはそもそも、有名人とつながるためのもんでもなんでもなかったのに。

 

アメブロ芸能人ブログになってからずっと、

苦々しい思いを消せなかったけど、

やっぱネットでああいう人らと交流する気にはなれない。

ラジオにハガキ書いたりしてた頃は平和でよかったよ。。。

うわ。。

東さんのツイートが炎上して、

なんだか微妙な気持ちですが。。。

 

実家に戻って見つけた本を読み返してたんだけど、

この人、林修先生が番組で紹介しててすごい共感したんだよね。

 

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

 

 

まぁ、読み返して思ったのは、

「もっと若いときの自分はどんだけ閉塞して、

ひねくれてたんだ?」ということと、

これを書いた時の中島さんの年齢を考えると、

「どんだけ精神が若者なの?」という驚きかなあ。

中年になってここまで潔癖に考えられませんよ、なかなか。

 

今は、「絆」だの「家族の愛情」などがブームっぽいし、

「コミュ障」とか自虐するほどコミュ力重視の時代なので、

絶対にウケない本だとは思うんだけど、

それにしても、私のようなひねくれ者でも驚くくらい、

徹底した人間嫌いというか。。。

あと、「死んだら終わり、死ぬまでの時間を無駄にすべきでない」

という、当然だけどなかなか実行できないことをかなり強調してある。

 

40代とかは分別盛りで、

まさに俗っぽいことに追われる世代だから、

「死は近づいているのだから他人に振り回されている場合ではない」

みたいに行動したら、狂人かと思われかねない。

けど、今ほど世間体を気にして「空気を読め」だの「アスペ」だの言われる時代には、

割とこのくらい極端なことを言う人がいてもいいのかもしれないと思う。

 

いやー、すごい迫力だわ。。

 

「日本はくだらない標語などを壁に貼ったりするのが醜悪だ」

みたいな意見はすごいわかりますけどね。

あんなのほぼ無駄だもんね。

「ゴミ捨て禁止」「駐輪禁止」という張り紙の前に、

堂々とゴミを捨てたりする人々ですしね。。。