diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

おー。

まだブログや個人日記でBBS書き込みとか、

そういうふうに交流できてた頃ならいいんだけど、

ツイッターのようにすぐに拡散とかされる場ではものが書きづらい。

 

ツイッターは「バカッター」と呼ばれる前までの交流で満足なので、

今はもう、リアルの知人以外と交流する気は起きないな。。。

 

そんなわけで、前回は津田さんとの対談で、原発界隈の話だったのが、

今回は単独で、著書についての東さんの講演を聞いた。

 

フクイチ本のイメージが強かったので、

今回も同じと思ってたら、サイズは普通のハードカバーの本と同じ。

しかし読まないまま講演を聞いたんだよな。。

 

私は多分、一生直接的な交流がなかったとしても、

けっこう東さんとは深い部分での考えが似ている気がするので、

本を完全に読んでいなくても直観で理解することが割とできちゃうと思う。

とはいえ「散種」とかの用語については、

家帰って調べないとさっぱりわからん、というのはあったけど。

デリダの言葉でフランス語)

 

全体的に思うのは、彼は私なんかよりはるかに真面目なのだろう、

ということと、

レベルの低い質問をされたときの返しのシャープさを見て、

これは普段かなり高度にものを考えてないとできないな、

みたいなとこかな。

あれさ、普通にテレビとかでああいう質問があって答えるとしたら、

みんな適当に謝ってうやむやに終わらすと思うんだけど、

かなりぐうの音も出ないほどに言い返してたもんね。

 

んで、自分自身がかなり、

普段から物事を批評的な感じで見ているのかもしれない、

という気がした。

要はさ、「自分はこのコミュニティの構成要員であり、

ここに属していることを完璧に許されてる」

みたいな安心感をどこででも持てないので、

常に、あんまり「うちら」みたいな感覚を持てないんだよね。

友と敵に分けるならだいたい常に四面楚歌みたいな。

 

しかし、まぁなんだろ、

これまでの人間関係で否定されたり無視されたりしてきたことを、

けっこう多くの部分で「いいんじゃね」と言われる感じというのは、

知性ってやっぱいいなと思うわけで。

最近、「リライフ」っていうマンガをツタヤで立ち読みしてて、

「なんか人生を生き直す話らしい」と姉に話すと、

あの人はスピ系なので、

「自分は生き直しとか必要ないと思う」と断言された。

で、そういうのは地味にショックなんだよ。

毎日のように「こんなはずじゃなかった」と後悔の念に苛まれてるような、

私のようなネガティブな人間からすると。

 

でもそこを、「もしかしたらあるかもしれなかった人生を、常に考えながら人間は生きていて、

むしろ無数にあったはずの他の選択肢を排除した結果が今である、

なので今この現実以外の、他の可能性も一緒に生きている」

みたいなことを東さんが話してた時、

「だよね。。」となんかホッとした。

欲張りかもしれないけど、「あのとき、こっちを選んでれば、

今はもっとよかったかもしれないのに」とは、

常にうじうじ考えて悩んでしまうんですよ、人は。

んで、そこをスピ系の人なんかは、

乱暴に「それはネガティブです」

「選んだ方こそが必然です」と否定するから無粋だなと思うわけ。

 

あと、「家族とは常に偶然だ」みたいなのも、

「だよね」と。

そこもさ、スピ系の人って「それこそが必然である!」と断じてきて、

そうやって断じると自分の気持ちは楽なんだろうけど、

でも、そこにそんな強い意味を持たせてもしょうがないというか、

家族であれ似てないし、考えも全然違うし、

「血がそうさせる」とかも別にないし、と思う方が私は性に合ってて。

家族とか血縁に特別な意味を持たせないで、そこから自由になるというのは、

けっこう気が楽なんだよね。

親孝行とかを強要されなくて済むしさ(汗)

実際、何を話すのももうあきらめてるし。

 

それにしても私は、結局何かあると「フランス」ということと、

キリスト教」にけっこうぶち当たることが少なくない。

私自身は全く信者ではないけど、行った学校がミッション系で、

深い話の出来る人にもそっち系が多い気がするなあ。

 

まぁ一番心強かったのは、

「今現在支持されているものは未来を変えない、

なので常に未来を変えるものはマイノリティである」という話。

そういうふうにはっきり自覚したことがなかったので、

「確かに」と思えた。

 

ま、自分もそうなんだけど、

結局型破りなものにしか活路を見いだせないのかもね。

なんかさ、周囲の人を見てると、

もうわかり切ったことを確認し合うのがめちゃくちゃ楽しそうというか、

何も面白くもなく当たり前のことを話して盛り上がれるのが、

むしろうらやましい。

職場でも「明日ってタイムカード提出ですよね」「そうそう!ですよね!」

みたいな無意味な会話で楽しそうにしてるのよく見るし、

そういうささいな会話で「われわれは敵ではないですよ」と確認できて楽しいのかもしれないけど、

そんなん口に出さなくても分かり切ってるしなあ、と聞いてて思う。

その程度のことを言わなきゃならないというのは、

自分が考えているようなことを会話するところには到達できないな、

といつもあきらめてしまう。

要は何を話すかじゃなく「話した事実」「交流した事実」のほうが重要で、

「口動かして何か言って相手も反応して体使って笑った」

みたいな、ほとんど運動みたいなことしか起きていない。

それで連帯感築けるってある意味大したものというか、

自己暗示でしょうね。

「敵とみなさなければ自分も味方だと思ってもらえる」みたいな。

けど私は、どんなに頑張ってそういうところに合わせてみても、

次の瞬間には裏切られたりバカにされたりという経験が多すぎて、

「結局、本音の部分で合わない人に無理に合わせてもしょうがない」という感じ。

なのでまあ、雑談のたぐいはほんと好きではないけど、

それだと今は「アスペ」とか言われかねないからなあ。。。

女性によくある「解決策とか関係なく、ただ吐き出すだけで楽になる」

みたいなのも、「カロリー使ってスッキリ」みたいなことかなと思うけど。

口動かして運動することで「なんかストレス減った」

というだけのことで、

正直何の中身もなかったりするし。。

 

まぁ、東さんの話はだいぶ特殊な話なんだけど、

今は特に、リアルタイムでの情報に接するのが苦痛というか、

こんなにテレビを見るのが苦行に感じることもないというか。

やれ海老蔵だ、ジャニーズだ、豊洲だ、藤井4段だ、愛ちゃん妊娠だ、とかさ、

全部自分に関係ないしどーでもいい。

社会から退却するにはいい時期かもしれない。。。

 

東さんの話は、割とスケールが膨大というか、

ほっとくとどこまででも広がってしまうので、

どこで切るかというのもある気はするけど。

まぁおよそ常識でものを考えてたら理解できないことで、

で、そういうところがやっぱシンパシーを感じるとこかもしれない。

この前みうらじゅんの話聞いてて、

相変わらず「バカなの?」みたいな話なんだけど、

ああいう人に私は常に救われてきたので。。

まあやっかいですね。。

どうでもいいけど、自分が月星座ではみずがめ座で、

いちいち判断しないと気が済まないとこがあるのと、

太陽星座ではうお座なので、

何事もはっきりできないという自己矛盾はかなりあるのかもとか一応考えたりもする。

まぁヒトの内面ってわかんないですよ、常に。。。

 

あと、最近考えてたオウムのこととかも関係するんだけど、

「自分がテロリストになる偶然性」って話で、

「例えば、秋葉原の事件の犯人とかに対して、

『自分もああなっていたかもしれない』との言説があまりにもなさすぎる、

そのあたりへの想像力がなくなってる」というのはまさにそうかなと。

もう少し小さいコミュニティだと仮定するとわかりやすいんだけど、

自分の住む小さい村にああいう若者が出現したとして、

結局、村から排除して終わるのか、

包摂するのかという。

まぁ、排除は簡単なんだけど、何も変化はないよね。

そういう人をただの異物とみなすか、

自分らが生み出したと考えるかという。

今は切断して終わり、があまりにも多いよね。。

ふー。

派遣の営業からメール来てたんだけど、

やっぱりとんちんかんというか。

わざわざ言わなくても分かり切ったことを送ってきて、

「ちゃんとするべきことはしてますよ、すごいでしょ」

とでも言わんばかり。

「すごいですねー」と褒めなきゃいけないのか。

かまってちゃんか。

 

肝心の時には何も返事してこないから今こんな状態なのに、

すべてが終わってからマメに返信してくるって、

やっぱしょうもないなと。

 

くだらないんだけど、LINEってほんとダメだね。

なんか、「飲み会の連絡網のために」とかで、グループに誘われたらしいけど、

飲み会自体行く気もなかったし、

絶対話したくない、つながりたくない女子がいたので、

「ちょっと保留で」と言っただけで無視ですよ。

言っとくけど高校生とかじゃなくていい大人よ。

 

もうさ、LINEグループに入りたくないって言った時点で、

飲み会とか論外になるのだろうし、

でも、私は携帯の連絡先教えるのってかなり気を遣うんですよ。

飲み会なら、ワードで文書でも作って紙で回せよ。

誰とでもLINE交換なんかできるわけないのに。

 

世も末ですな。。。

あら。。

なんつうか、よくわかんないけど、

LINE交換してた子が突然無視し始めたりとかあって、

なんか行けなくなって、悩みつつ時間を稼ぎ、

メールで「終了させていただきたい」と伝えたら、

あっさり「今日付けで終了にします」と返信が来てた。

 

そんなことできるなら悩まなくてよかった、

というより、

そういうのって、意図的にハードルが高いような印象付けをしてるのかね。

前に職場で辞めた子とかに対して、

みんなで激怒とかしてる職場あったけど、多分、

愛想をつかされてるのは激怒してる方だと思うんですが。。

 

東京にいたときって、さすがにハードルなしってほどでもなかったけど、

表立って言わないだけで、

「この会社クソだから」みたいなことが、割と普通に言えてた。

それが地方に行くと、みな悪者になりたがらず、

あと、辞めたことが情報共有され、どこにも入れなくなるのでは、

みたいな、根拠もないことに恐れて辞めようとしない。

 

辞めることが善とまでは言いませんが、

そんな調子だからクソ会社がなかなか減らないんじゃないでしょうか。

 

この前面接行った会社で、

「実家には帰ってますか」と質問され、適当に答えたら、

「この質問の意味は、親を大事にしない人間にはロクなのがいないから」

という、完全な私見をのべられ、

多分、そう大して世代変わらない人だと思うけど、

「終わってんなー」とつくづく思った。

 

そこの会社での仕事ぶりと親のこととなんか関係ありますか?

しかも、どういう家庭の人かなんて、わかりもしない。

親がどうしようもない人ってこともあるし、

実家にきょうだいの家族とかがいて帰りづらいことだってある。

何をもって「ろくでもない」と言っているのか、

価値観が古すぎて話にならないなと。。。

 

何を聞いてていいのかむこうもわからないんだろうけど、

自分もつくづく面接に向いてないな。。

うーん。

何か、私は職場において、

友達のように接してくる人はやはり苦手というか、

一挙手一投足に反応してきたり、

やたら飲み会をやりたがったりというタイプの人はどうもね。

タメ口で話さないと「よそよそしい」と取る人とか。

こっちはわざとよそよそしくしてるんだけどねえ。

 

仲良いとかよくないとかさ、

そんなの家族間ですらいろいろ微妙なんだよ。

人との距離感は一定ではないし、

なので、目の前に向かうPCだの書類だのがあった方が、

バランスを取りやすい。

第一、ずっと8時間人と向き合ってるなんてこんな疲れることはないよ。

 

まぁそれが薄情だとかコミュ障みたいに取られたらしょうがないけど。

人間関係ですり減らす労力はもう残ってない。。。

ふむ。。

headlines.yahoo.co.jp

うーん。

 

思うに日本人にプレゼン力がないわけではなくて、

「変に目立ちたくないので適当にやり過ごす」

という心理があるように思う。

 

目立つというのはそれだけで責任を負わされることが少なくない。

みながみな目立たないように振る舞う日本では特に。

なので才能がないとか力がないわけではなく、

出さないようにして無能を装う人も多い気がする。

悪目立ちすると小寒いとも思われがちだし。

目立った人間が失敗すると注目されるし。

そういうの全部めんどくさいから適当にしとくというか。

 

あと、変なスタンドプレーよりも、

王道なことや普通のことを言うほうが信用される感じもある。

ウケ狙いみたいなことばかり言うと、

お調子者のような印象になり、実際軽薄な人も少なくない。

 

注意を惹きつけるのってさ、そういうのが毎回だと、

もうそのほうが興味失うんだよね。

ここぞというときならいいけど。

会社のプレゼンごときで出したくないんじゃない?

まぁただの想像ですけど。

 

聴衆のレベルってのもあるから、

あまりぶっとんだことばかり言うのもね。

まぁなんか、変な話人が多すぎるんじゃない?

もういろいろ飽きたっていうかね。。。

んー。

なんか例の匿名ダイアリー読みつつ、

マル激とか見ていたらさ、

結局、「何故批判を避けるか」というのが、

「得にならないから」ということに尽きる気がしてて。

 

内部告発とかって、結局自分が辞職に追い込まれることが多いし、

むしろ、そんな会社に残ってもまともにやってけないと思うんだよ。

その間、生活どうなるんだっていうのもあるし

(そういう人向けの保険もあるっぽいけど)

「正しいことはこれだ」と言うことに伴うリスクや労力が大きくて、

多くの人がそれを引き取れないということのように思う。

ウィキリークスのアサンジ氏とかも大変そうだし。

 

多分ね、私もそうなんだけど、

年齢的にも立場的にも、リスクを取っても取らなくても、

どうせ何も優遇もされなければ状況も変わらない、

大した希望を持たずに生きてる人間だけが、

そういう批判や考えの表明を堂々とできるんじゃないかな。

要は、いまさら損したもクソもないくらい、

ずーっと悪い立場で、理解もされず捨て置かれ、

何の得も得られなかったような人間だけが、

本質に対して向き合えるってこと。

家庭もあり収入もたくさん欲しいような善良な市民ほど、

批判のたぐいから距離置いた、マイルドヤンキー的な立場を望むということ。

彼らはどうしても保守的にならざるをえない。

不利な立場に追い込まれるのが何より怖いんだよ。

 

これって、東さんが批判してる宇野さんとかさ、

ああいう、「勝ち馬に乗る」「メジャーで売れてるものこそ偉い」

みたいなところから始まってると思うんだけど、

こうやって批判が忌み嫌われ、

「どれだけ正しいこと言ってもお金なきゃ何もできないじゃん、

だから売れてるものこそ正義なんだよ」

といった考えの末路ってなんでしょうね。

まぁポピュリズムの極みってことなんだけど。

 

思うんだけど、快適な社会システムなどを維持するために、

お金お金と言うけれど、

批判すら許さないようになるということは、

もうその社会の地盤がヤバイということだと思うんですよ。

社会そのものが揺らいでいるということ。

んで、崩壊した社会において、やれ「売れるもの作ってお金が」とかさ、

もう成立しないと思うんですけど。

暴動が起きてスーパーから物盗んだりとか、そういう世界になると思うよ、

崩壊社会ってのは。

 

あらゆることがまともに機能しなくなった世界で、

どんなにお金があったって、もうシステムも維持できないんじゃない。

ももう社会から退却して、自給自足して隠居したいし。

本当に深い意味で損得を考えるなら、

やはり正しいことから目を背ける、批判を恐れる態度は、

長い目で見れば社会全体の損にしかならないわけよ。

そういうことがわからないことが「知性がない、幼稚」と言われるわけ。

目先の損得ではなく、深い意味での損得が何か、

そういうのってある程度の知性の積み重ねや、

ある程度の経験などが必要だから、

昨日今日出てきた若者文化でどうこう言われても困るわ、って話で。

ただ、80年代のパンクとかはものすごいレベル高かったけどね。

町田康とか。

かなり哲学的なのよね、言ってることが。

 

んでね、もういちいちそんなことを言い含めるのも面倒だし、

ネットで言い争いとかするのも疲れるので、

そっちはそっちで勝手にやってくれていいです、と思うだけ。

今井さんの発言に呆れるような感情自体がもうないのよ。

「はいはい、あなたはそうでしょう」と思うだけ。

 

てかもう、都議選のニュースとかもほんと興味ない。。。