最近さ、すべてをあきらめた結果、
すんごく物事がクリアに見れるようになって、
まぁ、いまだに不安とか迷いも多いけど、
なんかそのことだけは収穫だったなってけっこう嬉しい。
感情や他人の考えのみに流されていたら、
決して今のようにクリアに物事を考え、
しかも「お前が言うな!」と言われない立場にはなれなかった。
今は昭和回顧が盛んで、
ナポリタンやカセットテープなんかも人気があるらしいけど、
もともとね、自分が好きだった80年代サブカルやロックは、
もう「社会に対して何の期待もしない、絶望感」に覆われ切ってたの。
これってミッシェルくらいまで全然変わらなかったんだよね。
90年代後半までね。
「自分たちは社会に受け入れられない異端である」と完全に醒めてて、
いかに社会の常識がクソかを暴くような感じ。
ブルーハーツの「青空」なんかもそうだし。
で、さすがに90年代の数々の暗い事件に、
鬱々としていることにすら限界を感じて、
「もうあまり深く考えまい」ってなったんだけど、
このところ結局、
「社会はやっぱりとんでもなくクソだった」というのがめちゃくちゃはっきりしだして、
「自分らは間違ってなかったな」と確認することができたわけで。
「そんなに思うなら社会変えろ」とか言われるかもしれないけど、
独身で女のマイノリティに何ができるんだよ。
せいぜい、同じように社会に違和感感じてる人同士でつるむくらいしかできない。
だって、「結婚は必須事項ではないし、女性にとってのゴールでもない」
という単純なことですら、
理解されるどころかどんどん排除されていってるじゃん。
「子育てしてる人は偉い」とかなんとか言って。
確かに少子化は未来に不安をもたらすだろうけど、
今生きている人間が不幸なら、
日本の未来考えて子供作ろうとかさ、そんな殊勝には誰も生きられないと思うよ、
お金もないのに。
誰が日本の未来に貢献するために恋愛して出産しようとか思うんだよ。
んなこと、もし言われても「恩着せがましいなあ」としか思えない。
なんかね、物事をもっとよく考えてほしいんだよね、
すでにあるメディアに出てくることを単になぞらないで。
この前さ、職場のポンコツ上司が、
「残業は悪である!」とか一人でほざいてたけど、
こんなのさ、もうなんにも言っていないのに等しい。
そう思うならそう行動しろよってこと。
分かり切ったことをいちいち言うなよ。
FBで全部の記事に「いいね!」をつけるのと同じで、
何もしていないのに等しい。
全部につけるならつける意味はないんですよ。
私自身は絶望しているというか、
もともと絶望感しかないような音楽ばかり聴いていたし、
まともなことがまともに評価されないことも叩き込まれているし、
いまさら極端に悲観することもない。
「通常運転だわ」と思うのみ。
ただ、何が本質的に大事かとか、必要かとか、
少しはわかる気がするので、
ちょこちょこと毒を吐いて「そうはさせんぞ」
という空気を出すくらい。
唯一の居場所であったネットも、SNSに駆逐されて、
好きな音楽さえ、ライブに行くとファンのバカが幅を利かせてるし、
もう逃げ場ないしね。
ましてや家庭なんてね。。。
思うんだけど、4人とか5人の家族ってすごく行き詰まりやすいよね。
大家族に戻れとかじゃなく。
家庭という枠に押し込めると、解決できるものもできなくなるってこと。
密室だもん。
もう少し、雑多に人が関われる場所とかあるほうがいいよね。
固定化した人間関係で行き詰まると、
どうしようもなくなるから。
シャッフルできないと結局、ただのいなかの近所づきあいみたいになっちゃいますよ。
いろいろとノイズがあるほうがいいんだよね。。。