今匿名ダイアリーでオウムのこと書いたのがあがってるけど、
やっぱあの事件は非常に重要だったといまだに思うのに、
きちんとした振り返りが全然されていないなといつも思う。
犯罪という側からしか見ないからだよね。
私は常々、SNSも今のスマホもネットもくだらない、と言うんだけど、
ネットが普及しだした頃は、
住んでいる場所に縛られないで、ちゃんと分かり合える仲間が見つかるものとばかり思ってた。
ただ、私がネットをやりだした頃は東京に住んでて、
結局東京中心になってしまったけど。
それでも、とにかく自分が住んでた地方から逃れられたのは喜ばしかったけど、
今じゃもうSNSの普及で、
結局住んでる場所により強固に縛られるという体たらくで。
出会い系とかも完全にそうで、
下手すりゃ「同じ市内」とかで探してるもんね。
ネットやり始めたころとは雲泥の差だよ。。
オウムが出てきたころって、
なんかもう社会の閉塞感が限界に達してた気がする。
承認欲求みたいなものは、今よりもはるかに深刻だったから、
そういう肉体的なもので自分を危険に晒してまでやっていたのではないかと。
神戸の事件にしてもオウムにしても、
そういう社会から来るハルマゲドン願望、みたいな解釈もあったし。
オウムの思想って、あの当時のバブル世代とか、
物質至上主義、恋愛至上主義についていけない人らの、
意外とまともなものだったと私は思う。全部とは言わないけど。
自分自身がバブルとか全然ついていけなかったしね、地方民だし。
そういう、「競争に勝つ」みたいな考え方はあさましいと思ってた。
オウムの事件を、ただの「トチ狂ったカルトがテロを起こした」
で済ました日本の社会や当時の大人たちを、私は許せないんだよね。
あれだけのエリートみたいな人達が関わってた大事件を、
なんかただの犯罪の一つとして罰して終わるなんて、
あまりにも人間の心理をわかってなさすぎで、だからこそ、
私はその頃心を病みかかってて、
結局理解力のある人が本当に少なかったんだと思う。
下手にオウムについて公にものを言えば危険というのもあっただろうし。。。
逆に言えば、そういうカルトの方がレベルが上というか、
ヌルい社会に比べて考え方が先鋭的だったことには間違いない。
私は、多分その頃からずっと、
さまざまなことがトラウマなんだろうなと。
そうやって、深刻な事件をなかったことにして、
真に大切なことは何かを考えることに手を抜き、
何でも勝ち馬に乗るだけの安易な社会になり下がったことも、
いまだ受け入れられない。
昔の心あるサブカル界隈の人達は、
お金儲けのためとかじゃなく本気でいろいろ考えてたし、
もうそういう本音がどこに行っても聞けなくなった。
SNSがそれにとどめを刺した感じ。
無難なことだけ言って表面的にヘラヘラとやり過ごす空気読みばかり。
正直、ミレニアムに向かうあの頃のことは、
あまりに重すぎて消化できずにいたんだよね。
で、2000年以降はなんとか「ノリ」でつながろうという空気になり、
今の終わらないお笑いブームもそんな感じで、
そういう共通の話題でかろうじてノリを保って、
完全に崩れかかってる社会を直視しないようにしているのかもしれない。
ま、オウムにロマンを感じるようなこと自体は、危険視されるだろうけど、
そういう感性自体は、全然ないと言われると悲しくなるというか。
要は、平たく言えば「社会をよくしたい」とかが一応あるんですよね。
世界を変えたいとか。
もうさ、そういうことは全てが陳腐にしか響かない社会になってしまうと、
何を言ってもネタ扱いにしかされなくなる。
本気で何かをすることを放棄するんだよね。
90年代までは、本気になれば何かができるという感じはまだあったし、
「本当にヤバイ」みたいなサブカルチャーもけっこうあった。
もう、今の政治とか見ていると一切そんな気は起きませんが。。。
何でも強行採決だもんね。。。