こないださ、さくらももこさんのこと書いたとき、
なにげなく、「『うちはびんぼう』の絵柄なんて、根本敬かと思う、
りぼんであんな作風が通っていたこと自体が驚きだ」
みたいなことを書いたんだけど、
やっぱ時代のなせるわざだったのかもしれない。
「女性として素敵と思われることを全てかなぐり捨てないと、
あの作風ではやっていけない」とか書いたんだけどさ。
昨日から急に、山田花子さんの本の話題があがってきてたんで、
寄稿文とかいろいろ読んでたんだけど(最初はなかったものが追加されたりしてた)、
その中に、さくらももこさん宅で山田さんとたまの知久君が一緒に写ってる写真があって、
なんか「あれ?つながってたんだ」と。
自分が幼少期からはまっていた「りぼん」と、
根本敬につながりがあるなんて思ってもみなかったけど、
山田さんの本に真っ先に寄稿を寄せているのが根本さんだから。
で、さくらももこの絵柄が根本さんぽいのも、
全く関係ないわけではなかったのかもしれない。
でさ、山田さんは今ならもっと楽に生きられたかも、
という意見が多いんだけど、
いや、80年代当時に、若くしてあれだけ才能を見出され、活躍の場を得ても、
やっぱり生きづらかった人が、今だから救われる要素とかあるのかなあ、
と私は思うんだけど。
で、やっぱ80年代は特殊な時代だと言わざるを得ない。
ああいう作品がメジャーなマンガ雑誌などで普通にデビューして、
さくらももこさんに至っては、
「老若男女に愛される国民的マンガ」みたいにまでなってるじゃん。
「インスタ映え」の時代の今では、
もっとも忌み嫌われるところから出てきている作家だと思うんだけどね。
今もメンヘラというとけっこう嫌われるし、
いろんな病気にこじつけて人を差別とかあるけど、
一方で才能がずば抜けていると高く評価もされるし、
なんかそれだけでも良く意味が分からない。
まぁ、会社員の世界とサブカルの世界が、
あまりにもぶっちぎれて遠い感じはするよね。特に地方は。
しかし私から見ると、特に事務職などは、
ほんと内向的で自己完結型の人が多くて、コミュ力とは程遠いし、
「人から話しかけられないと自分から話さない」
だのと山田さんのことを書いたもの見ると、
その程度で病気なら周りみんな病気なんじゃないかと思うよ。
みんな極めて消極的で波風の立つことをただただ嫌うから。
けど彼らはそれで悩まないから異常ではないわけでしょ。
悩む人の方がまだ人としてまともに思えますけどね。。。