diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

ふー。

なんか、「電話野郎許すまじ」みたいな匿名ダイアリーから、

いろいろ考えてしまったんだけど、それって、

ここ15年くらい特に、「電話」というモノにひどく振り回されているからで、

それはもう完全に社会を動かしているし個人の経済も支配している感じ。

 

固定電話って今減ってると思うんだけど、

固定電話の番号があるかどうかを、

「信用情報」としている会社もあるので侮れない。

固定電話がある人だけ後払いができるサイトとかね。

そのように、「遠くにいる人と話ができる、声が聞ける、凄い」

という存在であったはずの文明の利器が、

もう全然違う意味を持ち不思議な働きをするようになってて、

あげくの果てに、

「人の時間を奪うのだからいきなりかけるんじゃない、無礼者」

「不在着信だけ残されても困るんだよ」

といった、マナーやマイナス感情の問題になってくるという。。。。

あと仕事での電話の持つ意味とか。

「電話応対ができて一人前」みたいなね。

まぁそういうのはくだらないんですが。

 

私は、固定電話って結構好きなのよね。

いまだに導入したいと思いはするけど、

うちのアパートって電話線差し込むとこないから、

工事を頼まないといけないのがどうも気が重くて。

まぁ今はIP電話とかもあるんだけどさ。

 

けどずっと、携帯にはプラスのイメージが持てなくて、

料金も高いし、

ネットするのは好きだけど電話としては別に。。。みたいな。

外で電話かけるのが苦手で、

公衆電話でいいじゃんと本気で思うし。

静かな場所でないと電話をかける気にならないんだよね。

 

電話に振り回される生活はいつまで続くのだろう。。

あー

headlines.yahoo.co.jp

なんかちょっとわかる。。

つい最近、國母の話してたし。

小梅太夫とかいまだに好きだし。

ですよ。も好きだった。

「え?今?」みたいなのってなんか笑える。。

 

エンタで好きだったのは、

たいがーりーとか(汗)

全くといっていいほど笑わないのにエンタ毎週見てた。

復活してもいいような気がするけどね。。

んー。

何だろうな、およそ考えても無駄なんだけど、

今の朝ドラみたいな、高度成長期の話とかでも出てくるのは、

いかに電話が便利でありがたいかの描写で、この前も、

事故に遭ったかもしれない父親に、電話が設置してあるどっかの施設からかけて、

折り返しの電話で安否確認する、というシーンがあった。

 

その頃のことを知っている人からすれば、

電話は「あるだけでありがたい」ものかもしれないし、

電話交換手のような仕事や、

事務系で電話応対みたいなのも、

うっとうしいというよりは「使いこなせている自分凄い」だったり、

「なんて便利な世の中になったのだろう」とか、

かっこいい、みたいな感覚でとらえられるのかもしれない。

 

私がトラウマなのは、ろくに仕事を覚えてもいないのに、

「電話は新人の仕事」と決めつけていきなり出させたり、

理不尽なことを押し付けられるのがどうもダメで。

コールセンターにいたっては、

ただでさえ、応対の質が低いというのに、

クライアントのチェックにおびえてへいこらするためなのか、

声のトーンとかそんなことまでいちゃもんをつけてくるでしょ。

 

私はそもそも、昨日今日雇われた(大袈裟じゃなくそんなところが多い)ようなスタッフに、

ポンコツ応対をされるのはゴメンだし、

そもそもそうなるのは、フロアにいるSVとか、

マニュアルを作っている管理者が無能で、

的確に指示が出せないからなんだよ。

要は上の人間が頭が悪いの。

だから極力コールセンターには電話しない、と決めてるくらい嫌いだから、

電話のイメージはこの上なく下がってる。

「応対しながら応対の内容を入力しろ」と言うとこもあって、

そういうとこのオペレーターは、打ち込みながらしゃべってるから、

いちいち反応も遅いの。返事もせずしばらく黙ったり。

とにかく気分の悪くなる要素が満載なんですよ。

 

で、PCも携帯メールも普及してけっこう時間経って、

そもそもいろんな理由で電話応対にうざさを感じていた人からすると、

「いまだに何故、クソみたいな電話がなくならないんだ」

という疑問を持つのはわからないではない。

そもそも敬語使うのが面倒とかそういうのかもしれないし。

 

もっと昔は、窓口でも尊敬したくなるくらい、

応対のすごいおじさんとかいたし、

電話でも、めちゃくちゃ応対上手くてさわやかな感じの人もいたし、

そういうものには価値があると思うけど、

何も苦手な人にまでやらせる必要もないし。

電話が仕事のとっかかりとして重要、という思い込みがそもそもよくわからない。

 

いろんな便利なツールがあるのに、なぜそっちを使わないんだろう、

というのはもっともな考えだし、

私にとってコールセンターは、むしろ、

「全く頭使わないのに仕事してる感が出せて楽」ですらある。

だってさ、頭使って応対するのはむしろNGで、

マニュアルにない客は「体よくあしらえ」というのがコールセンターでしょ。

これでは全くモチベーションも何もあがらないよね。

「とにかく言われた通りやればいいんだ」の典型。

バカが指示しているからそんなことになるわけで。

「機転を利かせてくれてありがとう」のような牧歌的な時代はもう終わったってことですかね。

 

個人的な感覚で言えば、電話は「電話代がかかる」というのが一番いやで、

あと、電話で話すことが何もないのでほぼかけない。

この前保険の資料請求したら、ガンガン電話かかってきて、

しかも留守電聞いたら「手が空いた時にかけ直せ」ですよ。

こんなのしかかかってこないのだから、

今の人間が電話にいいイメージを持てないのも仕方ない。

揚げ句の果てに振り込め詐欺とかさ(汗)

電話がもともと何のためにあるのかと疑うレベルだね。

 

携帯のキャリアメールにしても、迷惑メールが多いし、

これだけノイズが多ければイラつくのが先になる。

 

てかそもそも、何のために人と連絡取るんだ?って話になって、

SNSも何もかも放置して、

一人でものを考えつくすくらいのほうが、貴重な経験になるんじゃないの。

そういう能動的なのは、

社会問題扱いの「引きこもり」とは違うでしょ。

 

だいたいがさ、「明るくてコミュ力のある人」とかを求人とかで強調するってことは、

すでにいる社員が無愛想で無能でコミュ力がないって言っているようなもので、

いまだにそれだけ「電話応対や職場での人付き合いすら満足にできない」人が少なくないという証だよね。

最近面接で、「自分で考えて業務を進められない人が多いんですよね」

と言ってきた管理者がいたけど、

「要はあんたにもそれができないから困ってるんでしょ」と言い返したくなった。

その管理者が、考えて業務を改善したり解決できる人なら、

もうちょっとましな職場になってるはずなんですよ。

よくも部下のせいにできるなと呆れたね。

派遣とか非正規ばっか雇って、「自分で考えたり意見を言える人がいない」ってさ。

派遣ふぜいがガンガン意見言って既存の社員の仕事のやり方とか変えられるわけないだろ。。

他力本願もはなはだしい。

 

まぁ、平たく言えばいろいろくだらないんだよね。。

はぁー。。

ひとりでものを考えることが何故必要なのか、

がこれほど理解されない時代というのはなんかうすら怖い。

誰かと、とか、SNSで多くの人に見られる場で、とか、

そうやって他人の目を意識して、

もめないようにすり合わせた意見のどこに、真実や真理があるんだよ。

社会生活で、それは「せざるを得ない」場が多いから仕方なくやっているだけであって、

閉じこもってできる趣味の場でさえ、他人に合わせなきゃならないのなら、

そんなものは楽しくもなんともない。

 

それって、「これ、明らかに人には理解されないな」

みたいな考えや好みを持ったことのない人には、

分からない感覚だと思う。

で、もっと昔は、そういう人こそ「すごい」と言われ、

尊重されたけど、今はもう「ただの変人」で切り捨てられる。

 

オタク志向の人が変人でなくなったら、

もはや何の意味もなくなると思うんですが。。。

うん。。

電話野郎滅びろ、の人の気持ちだいたいわかる、

ってか概ね同意。

別に電話に罪があるわけではなくて、

示し合わせた通話なら構わないわけでしょ。

私は音楽のレッスンをskypeで受けているけど、

そういう使い方であればきっとOKなのではないかと。

 

要は、電話でなければ伝わらない用事でないかぎり、

不用意にかけてくんなということだと思う。

現に、かかってくる電話のほとんどは、

かけ直すことのない、放置で終わるものばかりなので。。

 

 

最近、FBだけじゃなくツイッターも見なくなってきて、

そうなったらなったで、楽でもあるけど弊害もある。

 

そもそも、人と分かり合うことが相当難しい性格なのに、

そうやって自分の意志に忠実に従っていくと、

結局誰のことも好きになれなくなる。

だってさ、SNSとかで、どこまでが本音か知らないけど、

きれいごとのオンパレードの投稿見てさ、

誰のことを好きになれるというのよ。

そういうのを毎日毎日見させられたら、

どんなにもともと好きな人であっても嫌いになる。

なーんか無難に人をほめてるだけの投稿ばっかだよ?

結局自分を良く見せるためのプレゼンの場でしかないから、

そういうので真に人を信頼するとか分かり合うとかは、

どだい不可能なんですよ。

 

当初は、多少我慢して、無難なやり取りを演じよう、

と思っていたからこそ参加できた場であって、

「そのすべてがバカバカしい」と思うようになると、

もう一つとしてまともに見ることができない。

 

今の時代の何が辛いって、

みんながみんなSNSなんかで偽善者を演じる、

もしくは本気できれいごとを信じているので、

誰一人好きになれないし、好きになれるカルチャーがなくなるってことなんだよ。

そんなものを好きになれるくらいなら、サブカルにのめり込んでないし、

ロックなんか聴いてないわけで。

本音を言えるような場があっても何も出てこない、って、

物を作る人間として致命的な気がするけど。。。

 

あたかも、裏表のない人間が善人みたいに今は思われるけど、

多少ともものを考えていたらそんな単純に生きられるはずがない。

 

さっき、あるクリエイターが、

ポッドキャストみたいなやつで、

「中古屋で自分の作品を買うくらいなら、買っていただかなくてけっこう、

応援してると言うなら定価で買え」と力説していて、

なんかいやになってしまった。

まぁ理屈はそうなんだけど、あそこまでネチネチ言われるとちょっとねえ。。

あ。。

昨日、「100分de名著」で宮沢賢治やってて、

共感覚とか言ってて「え?」と思って、

クラムボンの人が朗読してたり、

ちょっと興味があって見てたんだけど、

けっこうヤバイ気がした。。

 

宮沢賢治は、「雨ニモ負ケズ」と「永訣の朝」のイメージだったけど、

銀河鉄道の夜とかヤバイ感じする。

ま、自分がそれほど社交とかしなくてよくなった、

定年後とかにのめり込んで読むのならいいかもしれない。

 

ただ、オリラジのあっちゃんが、

しくじり先生」でこれを取り上げてたらしいけど、

なんでなんだろう。。

動画見てみるかな。。

えーと。。

なんかねえ。

私自身地方出身だから、

いなかを小バカにして見下すなんてそんなつもりは一切ないわけで、

それでも「地方はつまらない」と言わざるを得ない状況があるわけであって。

 

「休みの日にクラシックとか聞きに行けて、

美術館や博物館もあって、十分文化的」とか言える人は、

ほんと幸せだと思うのよ。

で、そういう人が音楽スクールで言う決まり文句は、

「あくまで『趣味で』」という、

別にわざわざ言わなくてもいい一言を言いたがる。

要は、「プロになるなんて、そんなそんな、

地に足のつかない夢のようなこと、いい大人が言うわけないじゃないですか、

才能だってないし、そのくらいのわきまえありますよ」みたいなね。

私はそういう態度を軽蔑してるんだけどね。

 

例えば音楽をやることに、

はじめっからプロとアマなんてないわけ。

で、スポーツでも、英才教育こそ善、みたいになっている今の風潮では、

「プロになれないんであれば無駄」みたいに多分思われてるわけでしょ、

わざわざ「趣味で」って言いたがるということは。

 

けど、音楽をやることに、

そもそも趣味もプロもないわけ。

結局はおんなじことをやってる。

プロだから特別なことをやっているとかは、ぶっちゃけないよ。

機材が違うとかそのくらいのこと。

そこを、「そこらへんのどこの馬の骨かわからないやつが出した音なんか聴けるかよ」

という意識でいると、一生何もやることができないし、

卑屈に「趣味で」とか言うような人間になる。

私は、もうクッソ上手い先生達と一緒にやってるけど、

先生らがそんな差別意識持ってたら誰にも教えることなんかできない。

生徒なんて馬の骨だらけなんだから。

 

地方の人って、カルチャーを生業にするとか、

それで生きていけるという発想がどうしても持てないわけよ。

しょせん「休みの日に消費する観客」のスタンスしか取れないと思ってる。

東京だと掃いて捨てるほど業界人とかいるけど、

地方に住んでるとほとんどそういう人間を見ないから、

自分らは日々音楽とか聴いて生活してるくせに、その世界を特別視してて、

いざ仕事ってなると「食えるわけがない」と、

知りもしないくせに決めつけて、想像でものを言うだけ。

 

そういう特別感が地方なんじゃないの。

で、我々のユースカルチャーは、

休みの日に美術館行けるしクラシックも聴ける、みたいな、

そういう感じがいやだったからこそ地方が嫌いだったわけで、

特に何も発展しない保守的なカルチャーを忌み嫌ってたわけよ。

私は昔の巨匠とか好きだけど、かといって、

それだけを見てカルチャーだと言ってる感じはもうただの田舎オヤジだろ、

としか思えなかった。

今はそこまでは思わないけど、

そういった巨匠を介してどういう会話ができるか、

ということにかかってると思うんだよね。

美術館行くことで満足しているんだったらバカでもできますから。

 

そういう、カルチャーに緊張したり、

文化に「触れている」だけで「人と違う」みたいに思えるレベルが地方で、

仕事にすることに特別感を持たなくて済む場所が東京だから、

明らかに違う場所なのよ。

それがわからないんであれば別にいいし、わからないほうが幸福だよね。

 

まぁ今は、人付き合いもほとんどないし、

かといって孤立してるって程でもないし、

なんとか生きられないほどでもないって感じでどうにかこうにか存在しているだけこと。

なんかね、表現しづらいけど、

東京にいるとずーっと旅行者みたいな感覚で、

ワクワク感がなくならないんだよね。

どこの街に行ってもそこそこ活気があるし、

面白いものも見つけやすい。

だから、東京で一人暮らししているほうが、

なんだかんだテンションが高いまま暮らしていける感じはある。

ストレスで潰れそうなときもあるにはあるけど、

それは、地方で排除された絶望感よりはけっこうましだと思えるんだよね。

 

ま、今はけっこうニュートラルなんだけど、

衣食住が充実していれば都会なんて、

そういう勘違いはちょっとね。

私は本当に、子供のころから衣食住に困るような生活はしたことなかったけど、

(てかむしろ物や文化には恵まれてたほう)

それでも地方では絶望してましたからね。

妬まれていじめたりもされたし。

やっぱ先鋭的な場にいたい人にとっては退屈だよ。

全然違うもん。。