diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

うーん。。

www.j-cast.com

まぁこれちょっと古い記事なんだけどさ。。

 

やっぱミスチルは誤解されているというか、

「押しも押されもせぬモンスターバンド」

みたいになった後からしか知らないファンがほとんどということですかね。

だって私が初期の頃に「イラッ」とした曲が、

この発言とはちょっと相容れないもんだから。。

 

「every body goes~秩序のない現代にドロップキック~」

っていうのがミスチルの曲であってさ、

けっこう社会批判みたいな曲なのよ。

で、当時全盛だった音楽って、そういうものじゃなかったし、

メジャーシーンにいるバンドがそういうことを言うのも好まれなくて、

なんとなくこれは違和感があった。

清志郎とかブルーハーツとかがそういうことを言うならいいんだけど。。

「なんか、売れ線の曲歌って売れたバンドでしょ?

なんで急に社会批判とかしたの?」という違和感。

 

だからこの記事みたいな発言があったとしたら、

「え?よく言うなあ」と思うし、

アジカンの人が政治についていろいろ言っているとしたら、

「いいじゃん、バンドなんだし。ロックなんだし」

という感じで、別に何の悪感情もない。

もともとパンクの人とかは理屈っぽいし、

政治に関する発言も普通だったし。

 

要はミスチルの立ち位置なんじゃないかなあ。

ロックでもカウンターカルチャーでもサブカルでもない人が、

問題意識とか表現しても「うーん」という感じだし、

「政治的なことを言うべきではないと思う」

「環境問題を語るなどもってのほか」とかさ、

なんなん?なんでそんな上から偉そうに言うの?みたいな、

かえってイラッとさせるようにしか見えない。

自分がこうだと思ってることがあったとしても、それを淡々とやればいいだけで、

他のアーティストのやってることを「そういうことをすべきでない」とか、

「アーティストは全て音楽の中で表現すべき」とか、

いちいち言うこと自体無粋に思える。

それこそが、環境問題語るよりもよっぽど批判的態度というか、

「俺は周りとは違う」と言いたいだけのように見える。

 

だから根本的に私は合わないのよ。

あの曲のことを執念深く覚えてるくらいなんだから、

よほどなんかうっとうしかったんだろうし、

今の朝ドラの曲にしても、

歌詞は聴き取りづらいし理屈っぽい。

 

私は多分、そこまで複雑な思考ができないので、

そういう持って回った感じは好きじゃないんだよなー。

社会批判するなら、もっとストレートなパンクやロックが好きで、

イヤなことはイヤと普段から言えるというか、

わかりやすく暴れたりするバンドとかの方がなんか好き。

自分のこだわりや好みで、あえて社会批判的なことを歌詞には盛り込まない、

というアーティストは少なくないと思うけど、

だからといってそういうことをしている人を批判するとしたら、

「本当はもっと政治的なことを言いたいんじゃないの?」

とうがってしまう。

「全て音楽で表現すべきだ」というなら、それこそ、

音楽で完結できるべきで、

「アーティストはこうあるべき」みたいなのを言う必要ないと思うんだけど。

 

私自身は、ミスチルがデビューした頃のことしか知らないし、

なんとなくの好みで全く通ってこなかったし、

メディア通して見えてくる雰囲気が好きになれないので、

ただそれだけの理由で聴かないし、好きとかは全然ない。

正直言って、音楽的に自分が面白いと思うバンドではないんだよね。

あと、内省的な歌詞でも、あんまり好みではないというか、

もうV系くらいいっちゃってるほうがなんかまだ好感もてるというか。。

まぁ鬼門なのかもしれないな。。

んー

大抵なんでもそうなんだけど、

「世の中に広く知られるちょっと前が面白い」というのは同じっぽい。

最近はスケートも羽生君が全盛期だけど、

彼が活躍する前までのスケート界は「芸術」の香りがけっこう残っていた。

私は大ちゃんから入ってるんですけどね。。

 

まぁ、今の採点システムに問題があるんだろうけど、

以前のスケート界は、多種多様なキャラクターの選手がいて、

すんごい面白かった。

バンクーバー五輪では、あえて4回転を回避して、

全てクリーンな3回転ジャンプを跳んだライサチェクが金。

しかも黒鳥みたいなのがコンセプチュアルで面白かった。

あのころまでは、コンセプチュアルな選手でも、

町田君のようにわざとらしくないところがよかった(汗)

いわゆる、ジャッジにまだセンスがあったのかなあと思わざるを得ない。

 

今現在のスケートも好きだし、見るのは見るんだけど、

あの頃に動かされていた感情のようなものはほとんど起きないというか、

とにかくジャンプ、点数、加点がもらえる、ノーミスの演技、

みたいな言葉ばかりが飛び交っていて、

理屈抜きで引き込まれたあの頃の演技はほとんど見られない。

割とステップが重要視されていた感じなんだよね。

 

まぁ、スケートといえば元々は女子が注目されていて、

女子の方がもっと面白味に欠ける感じではあったのかもしれない。

伊藤みどりさんはジャンプの人だし。

最近だとリプニツカヤの演技がすごくエモーショナルでよかったんだけど、

調子がよくないのか、あんまり出てこない。

メドベデワはいい線行ってますが。

まあ今はロシアですよね、女子は。

 

当時大ちゃんの周りにいた振付師なんかが特殊だったのかもしれないけど、

プログラムを見ていると、

文化の厚みというか、脈々と受け継がれているカルチャーの流れをいやおうなく感じさせられる。

スケートは必ず音楽が切り離せないものとしてあるけど、

サントラがすごくよく使われていて、その映画一つとっても、

チョイスがもう、スタンダードとして定着してる古いものを平気で使ってくる。

サントラではなかったとしても、クラシックの名曲も多いし、

嫌でもその曲の物語や背景を考えざるを得ない。

そうなったとき、貧困な感性しかない人は、その世界を表現できない。

というか、20代前半とかで平気で引退とかする世界だけど、

そんな年齢では普通は表現できない世界なんだよね、

クラシックとか古い映画なんかは。

どれほど努力しても、感性だけはどうにもならないという気がする。

物事を感じる能力だから。

 

今の採点システムでは、いかにクリーンなジャンプをたくさん跳んで、

レベル4が取れるテクニックを披露して、

というところにしか行かないけど、

大ちゃん自身が、勝つためのプログラムはあまり気が進まない、

好きになれる音楽がいいし、プログラムとしていいものを作りたい、

と前に言ってたし、

そういうメンタリティは、今みたいな時代には受け入れられない。

スケートは元々競技であって、点数を競う以上、

芸術に傾き過ぎるのはよくないのかもしれないけど、

ただ、外側からその世界を見ていると、

今のようにジャンプ全盛時代になる前のスケート界が、

いかに芸術的な空気に満ちた特殊なものだったかを痛感してしまう。

 

どれだけすごいジャンプを跳んでも、

ノーミスの演技をしても、

「すごい」以外の感想がなかったりするけど、

久々に大ちゃんの演技を見ていたら、

いろいろな思いがぐわーっとこみあげてきて、

それって、フェリーニ映画のことやニーノ・ロータの音楽に関する記憶、

なんかいろんな感情が揺さぶられて惹き込まれてしまうし、

数分間のプログラムが、ものすごく濃密な、1本の映画を見たかのような感覚になってしまう。

そういう演技は、点数を稼ぐために作られたプログラムでは多分できないんだよね。。

 

自分は大ちゃんから入っているから特殊だし、

何に魅力を感じるかは人それぞれだけど、

(その前に荒川静香さんがいるんだけど)

あの時代に感じていたことはかけがえのないもので、

それはある一定の感性を持った人にしか作れない、

というのはなんとなくわかる。

もしかしたら、今の効率化、合理化の社会にはもっとも欠けているもので、

もっとも得難い空気感なのかもしれない。

私自身は良かったと思うけどね、そういうのを好きな人間で。

いろいろと生きづらいけど、感動の質が違うというか、

体験として豊かな気がするから。

なんか説明できないことなんですけどね。。

 

「かっこいいものを作ろう」とかいうのは、

頭で考えてできないことはないと思うんだけど、

そういう、浅いかっこよさとは違うものが、感動するものにはあって、

この前大瀧詠一の曲を聴いているときにも思ったことで。

あの「いいなぁ」の感じって説明できない。

いいなあとしか言えない。

なんなんだろう。。

あれー。。

最近、シンギュラリティや人工知能のsiriのことなどがだいぶ話題になっていますが。。。

 

 

初代iPhoneが出る少し前(2007年くらい)、ある個人ブログでiPhoneのことを知り、

「ほぼパソコンと同じようにネットができる携帯が出る」

ということで、

私としては、携帯を主に電話というよりメールやネットをする端末として使っていたので、

これは喜ばしい、歓迎すべきことだと楽しみにしていたわけ。

まぁ、値段は高いだろうけど面白そうだし、

ノーパソ持ち歩かなくてもがんがんネットできるわけだし、

何故か一瞬だけ、

コンタクトセンターでiPhoneの使い方の問い合わせ対応をやったりもして、

なので、一般の人よりも早く初代iPhoneに触れることができたりもして。

 

けど、フタを開けてみればiPhoneは「ミーハー御用達」の端末になり下がり、

特に日本では、猫も杓子も、別にMacユーザーでもないのに飛びつくという現象が起こり、

私が期待した「外でもがんがんネットできる」という理想とは程遠い、

3大キャリアの制約に縛られた通信しかできない、

スマホ用の画面しか表示できない、

それどころか、くだらないアプリやSNSに支配される低レベルな世界になり、

iPhoneが出る前に夢想していたものとは全く違う、

「チャラいスマホユーザー」がネットを支配する結果となった。

インスタユーザーとかね。

 

私は結局、あっという間にスマホに愛想をつかし、

やりすぎ都市伝説で「スマホが人格を持つだろうから、名前を付けよう!」

とか盛り上がっててもまったく共感できず、

結局のところ「音質がだいぶよくなった携帯電話」としか思えなくなった。

だってさ、スマホ持ってやってることって、

ゲームと、自撮り用の、きれいに撮れるアプリ使って写真撮るくらいで、

当初考えてた「外でもがんがんネットできる」

という状態にはならなかった。

やっぱり、なんといってもタッチパネルが使いづらいのと、

(そういえばガラホって売れてるのかな)

スマホの画面の操作性が、ガラケーのボタン式に比べて好きになれないのと、

スマホはPCと全く同じことができるわけではないことがものすごく多くて、

表示も違うし、

「ノーパソに電話がついた感じ」にはならなかった。

 

そういう失望感を語る人は、世間には全くと言っていいほどおらず、

技術が進んで人工知能がー、という話にばかりなるんだけど、

私にとっては「結局PCとガラケーでいいわ」という、

特に進化したとも思えない状況になっただけだった。

ま、今ガラケーに自分の番号移すってだけで金取られるし、

むしろ退化したと言ってもいい。

結局、固定電話と、ガラケーと、

PCを使っていた状態で過不足なく過ごせたなあ、

今のスマホ全盛時代いらんな、というふうにしか感じない。

大体、スマホだとSNSが電話番号と連携させられたりして、

複アカ作るのが面倒だし、

複アカ使えないってなると身バレが面倒だし、

って、そんなふうに考えている人は、

アフィリエイトで儲けようとかいう人には全くいないだろうけどね。

どうしても、本音を書く場にはリアルの知り合いは来てほしくない。

普段のキャラと落差があるし、

必ず誰かを傷つけることになってしまうので。

 

こないだもさ、アフィで稼ぎたい人に、

パクリの片棒担ぐような真似させられて、

しかも、「お礼する」と言われていたのに何もなし。

いまどきネットで軽く稼ごうなんて、若い世間知らずの学生ですら思わないよね。

「ネットで稼ぐ」系の商材買わされてだまされるくらいのもんで。

 

金に目がくらんでいる人に何を話しても無駄なんですよ。

いろいろ話しても、結局儲けることしか興味がない。

そういう人に、人工知能とかの話や、

未来がどうなるかの真剣な話をしても聞いてないから。

 

iPhoneが普及してからこっちの世界は、

思い描いたものとは全く違うし、

早くスマホが廃れてガラケーに戻ってほしいと思うだけ。

だって、今までどんだけ、3大キャリアに金払ってるんだよって。

 

もう今は、プリペイド携帯でも買おうかなという感じ。

電話料金に振り回されるのに疲れたよね。

電話とか、普段全くといっていいほど使わないのに。。。。

そもそも私は電話自体が好きじゃないんですよ。

電話よりPCが好きなんで。。。

ふむ。。

和田アキ子が紅白落選して、

ご意見番ではなくなるとかなんとか言われているけど、

今日見た上沼恵美子もやや老害っぽい感じしたなあ。

 

なんか、最近の若者が恋愛や結婚に消極的とか、

結婚という事実だけが欲しくて同居する人達とか、そういう話題のとき、

「自分らの時代は夢あった」「ドキドキがあった」とか言ってたけど、

それって別に彼らの時代ではなくて上沼さん個人の話だから。

 

今の若者に限らず、恋愛のドキドキがどうのとか、

それが結婚に直結とか、さほど多くはないと思うんだよね。

ドラマやマスコミにそういうのを刷り込まれているだけであって、

実際にそういう夢のようなルートで結婚する人ばかりではないはずだし、

私なんて、トレンディドラマ全盛期ですら超さめきってた。

特に「東京ラブストーリー」とかが苦手で、

「別に恋愛しなくても死ぬわけじゃないじゃん」という感じだった。

 

恋愛だとかドキドキだとかは自己暗示でもあるし、

そもそも、ロマンチックラブ自体が海外から持ち込まれた概念でもあるし、

ああやって、未婚のいとうあさこの前で、

「自分は幸福な恋愛結婚した」と自慢げに言い、

しかも、今は夫婦仲はさめきって夫は「死んでもいい」とか、

冗談でも言うようなのって、もうけがれ切った大人の典型だよ。

 

これが不快に感じた理由は、その前のニュースで斎藤工が出てきて、

上沼さんがやたらとデレデレしていたから。

私は斎藤工に「エロい」とか思ったことなくて、

むしろ苦手な顔。

ただ、意外とオタクっぽくて映画に詳しいとか、

そういうところは好感持てるな、くらいの感じしかないので、

正直気持ち悪い話だった。

 

別に恋愛も結婚も否定しないけど、

「自分らは普通にできたことなのに、今の若者はかわいそうね」

みたいな上目線の意見は的外れで腹が立つ。

ああいうの見てると、初恋が実って結婚した、

みたいな熟年夫婦とか別にうらやましくないなと思う。

結婚前にカレー作った話とか超気持ち悪い。

そういうものにドキドキとかないし、むしろ小寒いというか、

なんかそういう感覚がもともと薄いんだよね。。。

てか全てがリア充自慢でしかないんだよ。。。

 

そもそも、この話題になったきっかけのニュースって、

松田翔太と秋元梢が付き合ってて、結婚するのでは、というやつで、

スーパーで買い物した袋を持って相手のマンションに行ってたという情報に、

「初々しい」みたいにみんなでやたら妄想膨らませてたんだけど、

あの二人30と29なんだよね。

もうそこそこいい年したカップルだし、

それでも彼女が結婚渋ってるとかいう情報もあって、あんまり興味ない。

だいたい、「彼氏の部屋で料理する」ということに、

必要以上に意味を持たせる感覚が、もうなんか小寒い。

てかめんどくさい、お前作れよ、

と彼に言えるくらいの関係が楽そうだなあ。。。

んー。。

anond.hatelabo.jp

こういうのさ、底辺から完全に解放される人はいいと思うんだよね。

けど、なんだかんだ親兄弟との縁って完全に切ることは難しいから、

こういうことをあまり堂々と言うのは気が引ける。

ま、地方は滅びていいという気持ちはおおいにありますが。。。

 

昨日かな、

林修先生の「初耳学」か何かで、

たとえ学力が同じでも、大検を取って大学に行った人より、

高校に通った人の方が将来の年収が高いみたいな話してて。

部活とかしてた人の方がコミュ力や忍耐力が高いんだって。

 

あと、「嘘をつかないように」といった教育をされた人の方が、

やっぱりそういう能力が高いとか言ってた。

 

けどそういうのってさ、すでに大人になっていて、

しかも、そういった教育を親がしなかった家庭の子供は、

「終わってる」「収入が低い」「忍耐力やコミュ力がない」

と勝手に断じられるわけで、

自分に責任のないことでこんなこと言われたら絶望しかないよ。

 

私の親は、DQNでも低学歴でもないけど、

田舎で暮らすことに何の疑問もない人種なので、

やっぱり分かり合うことは不可能。

ま、大人になってからこのへんをあんまり深堀りすると傷つくだけだよね(汗)

結局生まれや育ちが全てってことになりかねず、絶望しか出てこなくなりますよ。。。

えっ

うーんと。。

 

「ミヤネ屋」見てたらASKAがまた逮捕される、

みたいなニュース流れてるんだけど。。。

 

…だって、あの人のブログ読んだら完全に電波系じゃん。

「自分は集団ストーカーに遭ってる」

「盗聴されている」

みたいなさ、完全にヤバイこと書いてたし。

怖いな。。

うーん。。

この前、「Mr.サンデー」だったかで、

お供え物の余ったお菓子を、

シングルマザーの家庭に分けてるお寺を取材した特集みたいなのあって。

 

全体的に違和感を拭えず、考え込んでしまったんだけど、

お菓子を分けてもらっている家庭の子供から、

「甘いものばかりじゃなくてポテトチップスとかも欲しいです」

みたいな手紙が来てて、

「ようやく子供らしいわがままが出てきた!!!」

と僧侶が感動してるシーンがあって、個人的に一番気持ち悪かった。

 

子供らしいって何なんすかね?

わがまま言わないと子供らしくないんですかね?

自分の家庭は、とりあえず当面の食べ物に困ったことはなかったけど、

もともとお菓子類にさほど執着がなかったのもあるし、

そういうわがままを言ったことは一度もない。

それって子供らしくないの?

 

叔母に「甘えたりわがまま言ったりしない子はあまりかわいくない」

と言われたのけっこうトラウマなんですけど。

めちゃくちゃ先入観というか、固定観念だよね。

普段不良のやつが、子犬とかをかわいがっているだけで「いいやつ」

と思われるみたいな、

なんかそういう腹立たしさを覚える。

 

貧しさってさ、お金がなくて困る以上に、

イメージ的に忌み嫌われているほうがけっこう問題で、

「人並みのことができない」というところに執着しがちで、

特に学校ではいじめとかにつながると思う。

 

そういう文化を根本的に正すほうがさ、

お金や物を与えるより大事なんじゃないの?

島田洋七の「がばいばあちゃん」とかさ、

ほんっと貧しいけどそれなりに知恵を使って生きてる話で、

個人的にはそういうほうが好きだし。

 

福島から避難した子がいじめられてるのもさ、

結局放射能から逃れても自殺とかなったら本当に元も子もない。

で、そういうのでいじめる子ってやっぱ本当にタチが悪いと感じるし、

学校も、転校時にわざわざ言ったりしてんじゃないの?

「福島から避難してきた子です」とか。

必ずしも同情されるわけじゃないからね。

 

あと不思議なのは、母子家庭ってけっこう自治体からお金とかもらえると思ってたんだけど、

あんまりそうではないってことなんですかね?

お菓子や果物を一度も食べたことがないとかさ、かなり切羽詰まってるよね。

いろいろわからない。

 

まぁあんまり言うと、「ポリティカルコレクトネス」とか言われそうだけど、

やっぱ世間の人の「貧しさへのおびえ、恐怖」は、

個人的にはけっこう引っかかって見るところがある。

それって、「飢えて死ぬかも」っていう実質的な意味より、

「世間から白い目で見られ、見下される」という恐怖なんだよ。

まぁ、ママカーストなんて言っている時代だから、

完全に「飢えて死ぬかも」の次元の話ではなくなってるというか、

「全てが見栄」ということだから。

で、その見栄のために働いてる人生って、どこが楽しいんだろう。

人より上に立てば全て満足なんて、誰よりも悲しい、

空虚そのものにしか思えない。

 

「人並みでない」ことに嘆き悲しむ人を見ると、

どうしようもない違和感を覚える。

いかにも日本人、って感じで。

私なんて考え方が人並みだったことがほぼないから、

そういう人たちからしたら生きていけないだろうね。

お金がないことよりも苛酷かもしれない(汗)

どこ行ったって大抵浮いてますもん。

 

あ、そうそう、

くだんの特集で違和感あったのは、

クライマックスでくるりの「Remember me」が流れたからってのもあるかもしれない。

一瞬「ファミリーヒストリー」かと思うし、なんか興ざめだった。

感動ものって、さりげなくやらないとすぐ胡散臭くなりますよね。。