diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

物事のレベルが上がらない理由

「何故、時代が進んでいるにも関わらず物事のレベルが下がるのか」について、

自分なりに思うことは、

おそらく、何か画期的な方法論が出てきて社会が変わったとしても、

そのことを素直に認められない、やっかむだけの人が非常に多く、

そのことをきちんと吟味する前に、

次々「そんなもんはつまらん、今はこっちだ」と、

オルタナティブな方向に行って切り捨ててしまうからではないかと思ってる。

要は「自分の手柄だ」と言いたいだけの人が多いのではないかということ。

 

ネットのよくないところは、反応がすぐにできてしまうため、

今はこう、という情報が乱立し、

ある程度形になった結論ということにもたどり着かない。

そこに行く前にすでに飽きてる。

 

しかも、誰かが有益なことを言えば言うほど、

「本質突かれるとかえって腹立つ」となり、認めたくないんだろうね。

それも本当に一般の普通の人が、非常に的を射たことを言っても、

「お前に何がわかる」で片づけたくなるのが人情なんだろうな。

 

で、後からそれが非常に有益だったとわかっても、

認めたくないわけ。

自分に見る目がなかったと認めるのはしんどいからね。

そうやって多くの人がエゴに流されていく以上、

どうしてもレベルの低い方向に流れざるを得ない。

 

今の音楽のレベルが低いというような話も、

若者が支持しているものを否定すると「老害」認定されるので、

物わかり良く振る舞おうとする人がめちゃくちゃ多い。

でも中身ないものはないんですよ。

だいたいお前ら、本当にいいと思えないだろ?若くないんだから、

感性同じなわけないだろ?と詰め寄りたくなる。

 

結局同じにはなれないのだから、

今の自分がいいと思うものを認めるしかないのよ、人は。

自分いつわって次々といろんなものを認めるふりをしても、

結局家とかでそんな音楽聴かないだろ。

好きなものしか聴けないのよ。

 

個人のHPから、日記サイトになり、ブログが流行りだした頃から、

ネットなんてもう何の進化もしていない。

ツールが古いからと言って「老人会」とかバカにするけど、

その時期がなければ今もないのであって、

そういうものを笑いものにすることは自分を否定することと何ら変わらない。

面白がって「キリ番ゲット」とか言っている人はいいんだけど、

本気で見下しているバカも多いからね。

その頃の方がまだ全然ネットは面白かったし平和だったのにね。

今はもう、顔面とかの整ったやつらの天下でしょ。

そんな地獄の何が面白いんだよ。。