この人の文章、惚れ惚れするわけですが、
私もおおむね同じ感情を抱いてました。
まぁ私の場合しょうもない嫉妬と羨望かな。
憎しみという感情そのものを、
感じること自体を抑えることも消すこともできないならば、
どのように発露するかが大事、というのが人間らしい受け止め方に思える。
誤解している人が多いけど、
怒りや嫉妬や憎しみや悲しみ等の、ネガティブとされる感情を、
否定したり「感じることも恐ろしいことだ」
と封印することが最もよくないことだと私は思うし、
そういう感情自体は、極めて人間らしくて好ましいと私は思う。
きれいごとのみで生きられると信じて疑わない女とかがもっとも憎悪と忌避に値する。
もしも、「感じることさえ忌まわしい」として、
「そもそも、怒ってはならない、憎んではならない」
等と教育された子供がどうなるか?
某凶悪犯罪を犯した少年がそんな感じだったんですよ。
「嘘も方便」の類が通じない人ね。
みんなご都合主義だし、テキトーだし、感情はきれいなものばかりではない、
そういうことにさほど違和感を持たずに生きられることが、
「社会性」なんじゃなかろうか。
憎しみを向けられた増田の人は、
さまざまな境遇の他人が生きていて、
自分が想像もし得ない苦しみや悲しみが存在する、
ということを肝に銘じてほしい。
んで、そういうものがとんでもないパワーや表現を生み出す源にもなりえることを。
何の苦しみもない人間なんて、面白くもクソもないよ。