diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

んーー。

なんだろう、安室の引退発表で「アムロス」とか言ってるっぽいけど、

私は世代ではないというのと、

「ガングロ・細眉・ブーツ・ミニスカ」みたいなファッションも通っていないので、

まったくもって痛くも痒くもないわけです。

 

まあね、TRF大流行の時も全く聴いていなかったし、

要は小室ファミリーに傾倒したことが一度もないので、

なんか、中田ヤスタカとかは好きなんだけど、

小室にシンパシーを感じたことはほぼない。

 

ある意味安堵してもいるんですよ、

ああいうコギャルみたいなものが一度きちんと滅んでくれるというなら。

ああいうもんが世の中席巻して一体どのくらい時間流れたと思う?

やれプリクラだ、ガングロだ、パラパラだ、援助交際だと、

自分とは無縁の流行によって、乗れない者が差別されバカにされ、

そういう意味では忌まわしいものだったという面もある。

まぁもう、ユースカルチャー全体に興味がほとんどないので、

どうでもいいことですけどね。

 

SMAPのときも思ったけど、

日本に宗教が根付いているとすればああいうもんじゃないの?

いちいち何か起こるたびに騒ぐファンの感情がもうすごすぎて、

ロケットマンの国の国民に近いよ。

 

私は高校くらいからバンドの音楽とかインディーズとか好きになって、

自分でも楽器をやっているけど、

ついにああいう感情だけは理解できなかった。

もちろん、最初に好きになったアーティストとかには熱狂もしてたけど、

その人がわけわかんない路線に変わったら醒めたりとか、

何か、「全てをなげうってでも貢ぐ、ライブに遠征する、全部支持する」

みたいな盲目状態にはなれないんだよなあ。

そこが、私が決して宗教やマルチにはまれないゆえんだと思うんだけど。

 

私としては、90年代のあのコギャルブームは、

なかったこととして歴史から葬りたいけどね。

ああいうかっこつけこそが自分には一番合わない。

体操服や学生服の袖をまくってかっこいいみたいな、

小寒いセンスですよ。

平たく言えばヤンキーみたいなね。

宮台さんが、90年代初頭の東京が、一番東京っぽかった、

と言ってる時があったけど、

要はその後は地方化してダサくなった、ヤンキー化したということ。

モー娘とかもそうでしょ。

 

そういう人らの「ダサーい」の感覚は、

まぁ相容れないんだろうな。

交わることないっす。。

えーと。。

ここ数年、スマホの普及とともに爆発した、

SNSの普及から、

いろいろなことを根本から考え直さざるを得ない状況となり、

それはそれで、案外自分個人にとってはプラスになっているのかもしれない。

 

PCがメインのネットでの交流の時代と、

今のスマホの時代とで大きく異なるのは、

SNSによるリア充アピール・自慢の横行」であり、

リアルをベースにしているというところ。

なおかつ、写真アプリの進化による加工の横行であり、

一般の社会を見てわかるように、

まぁ化粧や加工による底上げの時代だよね。

自意識過剰な自撮りつきのツイートとかもかなり気持ち悪い。

 

私が振り返るに、90年代以降は加工の時代で、

なんというか、素朴で飾り気のないものが割と排除され、

忌み嫌われたような気がする。

髪は茶髪にし、目は囲みメイクでカラコンを入れ、

肌は焼き、プリクラは目を大きく見せられる。

ただ、私自身はそういうものにもともとなじめる人間ではなく、

例えば、役者やバンドマンなどの舞台メイクは好きなんだけど、

一般社会の日常でのそういう加工は今もって好きになれない。

当然、今ロスとか叫ばれているアムラーやコギャルとも全く相容れませんでしたが。。。

安室自体が嫌いとかはないんだけどね。

 

なんていうか、そういう「ごまかし」の作法は、

あらゆるところにまで浸透し、

たとえば好きな音楽やカルチャーを言うのでも、人目を意識し、

「ウケのいい」「通りのいい」ものを表向き好きだと表明し、

いかに自分がダサくなく、異様でなく、

さわやかで人畜無害であるかをアピールするだけの世界になってしまった感があって。

 

自分の中では、一応異性の目に対する意識もあって、

ずっと迷いがあったけど、

今少しそういう作法に限界を感じているのかもしれない。

私が好きなものは大抵、一般受けはせず、

わかりにくく、どちらかといえば野暮ったく、さわやかさに欠ける、

もともとそういうものだったにも関わらず、

言うと引かれたり、理解されなさすぎることに少し疲れ、

いつしか本当に好きなものを人前で言うことを一切やめてしまった。

けっこう、オシャレカルチャーの人らにいじめられたりバカにされたりも、

さんざんあったからね。

 

それでも、オシャレカルチャーにのうのうと転んだ、

元のライブ仲間のことは私は許すことができず、

ずっと好きなものは心に秘めて大事にし、

人前でけなすようなことは絶対になかった。

転んだようなヤツって、私に「いつから○○のこと嫌いになったー?」

とか、「自分も転びましたよ」って言わせようとするんだけど、

常に「別に私は嫌いになってないよ」と冷たく言い放ってやった。

そこだけは死守しないと、自分にも好きなものにも失礼だからさ。。

 

で、ついにもう、SNSのしょうもなさに心の底から嫌気がさし、

本音を隠し続けることもバカらしくなってきて、

別に異性の受けもよくならないし(汗)

もっと自分のもともとの本質に戻ろうという感じになってきた。

よく、「同じいい人で気が合う人なら、顔のいいほうがいいに決まってるよね?」

みたいな意地悪な質問をする人がいたりして、

要はルッキズムみたいなことなんだろうけど、

そういうのって、「『人間は外見ではない』なんて偽善だ」と言いたいんだろうと思う。

お前も結局は見た目に左右される俗物だろう、ということかもしれない。

けど私は、本当にもともと、そんなに美形の人にさほど心を動かされないたちで、

好きな顔とかはあるにはあるんだけど、

どっちかといえばアンバランスなものに惹かれたりするんだよね。

歯並びの悪い人が好きだったり。

んで、そういう感性は、昔は割とポピュラーだったんだけど、

だんだんと偽善扱いされ、

「なんだかんだ言っても美人・イケメンが好きなんだろ、お前ら」

みたいな論調に押されまくって、スクールカーストにまで発展するという、

極限まで行っているのが今という時代だと思う。

明星チャルメラのパッケージに広瀬すずが載ってるんだけど、

ラーメンのパッケージにいらんってあんなもん。。。

チャルメラのおじさんでいいわ。。。

 

私はほんとに偽善じゃなく、さほど顔のいい人が好きってわけではないし、

服のセンスとかにも、もともとそんな激しいこだわりもない。

むしろ、なんかちょっと奇妙な映画とかバンドとかばっかり好きになってきたし、

そのせいでものすごい迫害を受けたこともある。

特に、自分の家族がやたら美形の優男ばかり好きで、

私の好みを一切理解しなかったのも、意外と傷ついたしね。

 

今のSNS時代の過剰なルッキズムへのアンチテーゼというか、

少しでもそういうくだらない風潮を鎮める意味も込めて、

もうあんまり好きでもないものを好きだと言うのはやめようと思う。

ほんとに、80年代からの流れというのはめんどくさくて、

確かに私は変わったもん好きなんだけど、それすら、

「私って個性的でしょ」みたいな演出と取られかねない。

けど、そんなアピールでもって「エレファントマン」とか見れないって。

根本敬好きとか言えないって。

 

まぁ、もう田舎に古民家でも借りて隠居しようと考えてたくらいだし(汗)

人目はかなりどうでもいいんだよね。

そんなことで時間を浪費しているのは本当にもったいない。

なんか、「女子力が高い」と思われるような、

スイーツ()とかオシャレカフェとかスムージーとか、

「ていねいな生活」とか、

そういうものは自分にはさほど関わりがないけど(スタバとかは普通に行きます)、

もうそれでいいと思う。

豚足の素揚げもがんがん買うぜ!と思うし。

初めからそうしていれば、あるいは結婚もできてたかもしれないけど。。

まぁ後の祭りとしかいいようがない。。

 

さっき映画のレビューを検索してたら、

昔ながらのHPがあってなつかしかった。

「時計オレが一番好きだ!」とか熱く書いてあった(汗)

今もああいうので全然いいのにね。。

え?

最近の「ひよっこ」だけど、

我々は一体何を見せられているんだ?

チャージマン研なみの「尺余り」か?

短い番組って尺余りが恒例なの?

 

つまらないと言うことすらだるいくらいの、

ここ数か月の時間稼ぎ状態。

さっさと終われ。

うーん。。

実はさ、昨日面接行って、

短期業務だけど採用って言われたんだよね。

 

別に、この前職場行った時の最悪の展開が腹立って、

ってわけじゃなくて、

その前からもう応募はしてたわけで、

で、この前出勤したときに部署移動させられた際に、

出された好条件を、その日の夕方になってあっさり覆されたとき、

「もうやってらんねー」というのは高まってて。

 

部署移動してみたとき、そこにいた人らが、

管理者は若い女の子だけど、

一人変な先輩風吹かせている派遣がいて、

だいぶ感じ悪かった。

もうずっと応対している割には段取り悪いし。

すごい基本的な応対すら資料見つけれなくてバタついてたし。

 

まぁ、好条件をちらつかせて部署移動をさせられたけど、

結局その好条件をその日のうちに反故にしてきて、

んで、そこに集められた人らがどうも自分は苦手で、

その上体臭的なものが耐え切れない、という。。

 

生理的なものって割とストレスよ。

うるさい、暑い、寒い、臭い、トイレ行けない、とか。

それでこの先ずっと過ごせと言われたら拷問に等しい。

しかも、「暑い」「寒い」くらいは言えるとしても、

うるさい、臭いという、個人が出しているものについては、

ほぼ指摘ができない。

 

まぁ、今の流れとしてはちょっと行きにくいよね。

あと、入社した初日から目を疑うほどのポンコツの女の人がいるんだけど、

(毎回PCにログインできなくなったりする)

何故かその人が同じ部署に行かされてるのもなんか腹立って。

どういう基準で選んでんの?と思うし、

ポンコツがいると絶対無駄な話をしなきゃならなくなる。

しかも暇だから余計だよ。

入電が少ないから、気が合わない人からも話しかけられてしまう。

 

今の流れから言うとぼちぼち退社って感じ。

昨日、比較的穏やかな同期の人にLINEで聞いてみたら、

その人も「月末までで辞めるかも」とか言ってて、

あんな穏やかそうな人がそこまで思うならしょうがないのかな、みたいな。

 

今日は秋分の日だけど、

季節の変わり目ってなんか体もきつい。

やたらと眠いし。

とりあえずまた様子見だな。。

ふー。

あー、泣いたわ。

声出して泣いた。

 

実は、この前から2回に分けて見ていたのは、

デヴィッド・リンチの「エレファント・マン」でした。

80年代にヒットしてるので見た人もけっこういると思う。

 

なんかさ、レビュー見てると「人間とは何かを考えさせられる」

みたいなの多いんだけど、

私の場合全然そういうんじゃないんだよね。

ましてや「フリークス趣味」とかでは断じてない。

 

あのさ、「2001年宇宙の旅」とかについてもさ、

モノリスとは結局なんだったのだ」とかいう感想多いんだけど、

私にとっては全然そういうんじゃない。

意味考えてる時点でもうナンセンスなんだよ、ああいうのは。

あの映像を作り上げただけで充分偉業だよね。

そこに余計な理屈を差しはさむ余地はないと私は思う。

 

エレファント・マン」も、なんか理屈でどうこうっていう映画じゃないのよ。

私自身、昔から自分の感情で理解できないものがあって、

それって、「社会から排除、迫害される存在への並々ならぬ共感」というか、

憐みの感情というか、

どうしようもなく泣けてしまう。

共感というよりは愛情といっていいほど強い感情。

そういう人をなんだか無性に愛らしいと感じるというか、惹かれてしまうんですよ。

 

なんかね、この映画をマイルドに表現した映画が、

多分「シザーハンズ」だという気がする。

どちらも「異形の者」という意味で。

あと、一般の人間の醜さの描き方もけっこう似てる。

ただ、エドワードは虚構だし受け入れやすいけど、

エレファントマンは生理的に無理な人も多いだろうなと。

 

私は、「E.T.」もそうだったけど、

そういう存在ほど可愛らしく思えて、

もちろん映画だからというのがあるのは当然だけど、

全然気持ち悪いとは思わなかった。

それよりも彼のハートのけがれのなさがね。

わざわざ会いに来た女優がいたけど、すごい気持ちわかるよ。

普通の人間にはあり得ないほど純粋だから。

 

まぁ、そういうもの見て号泣して、

惹かれるという自分の感情にも戸惑うけど、

かといって、「これはフリークス映画だ、そういう視点で見るとおもろい」とか、

そんなふうに斜に構えた感想を言う人間にだけはなりたくない。

下手な感動ものよりずっと純粋な映画だよ。

 

いやー、死ぬまでにもう1回見てよかったわ。

んで、こういうもので泣ける自分の感情も、

なんか理由知りたい。。

前世でなんかあったのかなあ。。。

ん?

ネットで見る映画のレビューって、

ほんとに自分と同じ意見がなくてあぜんとするね。

前にナイト・シャマランの、ネズミが主人公の映画見たとき、

レビューが酷くてかなりびっくりだった。

私はけっこう泣いたんだけど。。

 

んで、今見ているのは、

実はデヴィッド・リンチの映画なんだけど、

やっぱ、私的に泣ける映画って必ず、

「理解不能」みたいなレビューがあるんだよね。

かたや私のように、何度も反芻して泣けてしまう人間がいるのに、

「途中リタイアした」というレビューがあって「そうか。。。」と。

 

たぶんあの映画を見て「癒される」とか思うのは、

この世で監督と自分くらいじゃないかと思うけど(汗)

結局、社会全体への絶望が深いということです。

人間全体に対してというかね。

 

人って個人個人はそこまで悪くないけど、

集団になるとすごいバカになるのは何なんだろう。

5人以上の集団とは距離置いておきたい。

あいつらすごい残酷だもん。。。

あー。。

あけたら大抵不愉快になり、吐き気まで催すFBを、

思い切ってアカウント全部あぼーんしちゃうかなと。

 

さっきたまたま開いてたタブ見たら、

「○○さんの誕生日です」って出ていて、

「知るかボケ!」とまたもイラついてしまった(汗)

家にいるテンションでああいうもん見ても、

全然プラスに感情動かないよね。

ただでさえ、バンド仲間とのごはんとか、

親孝行した話とか、空の写真とか、

いつ見てもリアクションに困る投稿ばかりなのだから、

誕生日だからとどうすることもできない。

 

この10年で関わった人とのしがらみが、

ほとんど無意味というのも、

我ながら悲しいものがある。

だいたい、ネットってしがらみを排した状態で、

自分の属性もほとんど関係なく、

同じ思いを共有できる人と出会える場所だったはずで、

インスタ蠅に至っては、

肉体という自分の属性の最たるものを使ってのパフォーマンスなのだから、

ネットを使う意味がほとんど何もなくなってしまう。

まぁ、ネットで顔面偏差値の高さを自慢したところで、

どこにどう響いて自分がどう得をするのか疑問ではありますが。。

 

人の内面ってさ、内面だけをダイレクトに受け取るだけではなくて、

話すときのテンションなんかも付随してきて、

もともとリアルの知り合いとネット人格でつながっても、

いつまでも違和感を拭えない。

文章になるとつまんないやりとりとかいっぱいあるでしょ。

それによって、無駄に関係が悪くなるなんて悲しすぎる。

といっても、SNSでのつながりもなきゃ会うこともないと思うけどね(汗)

 

理想的なつながりってなんなんだろう一体。

つーか、自分にはもうリアルで大事なつながりはほぼないに等しいな。

LINEも放置されまくりだしね。

会話がいつも自分の発言で終わってるって悲しいわ。。