diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

あけましておめでとうございます。

今年初投稿なので、遅いけど一応。

 

2023年の幕開けは救急車でした。

初めて乗りましたね。

30日に実家に戻ると、父親がこたつの中で横になったまま、

ただただ眠ったり、水分を取ったりしていて、

自力では動けなくなっていて。

当然トイレにも行けないのでおむつをしていたようですが、

皮膚に潰瘍があって痛みが激しくなり、おむつ交換すらも痛みでできなくなったとのことで、

その状態で我々だけが新年を祝うということもさすがにできないし、

おぶって動かせる人間もいないので、いろいろなところに問い合わせた結果、

救急車で病院に運ぶことになったんですね。。

 

近所がざわざわするかと思って勇気が必要だったけど、

でもまぁ、元旦だし、出かけてる人もいるだろうし、

思ったほどの騒ぎにもならず、救急隊員の人もかなり落ち着いて対処してくれたので、

時間はかかったけどつつがなく事は運び、

でも、病院に着いてから医師の説明を受けた限りでは、

状態は決して油断できるものではないとの話でした。

 

けど翌日に荷物を届けに行くと、ベッドを起こして食事も自分でとっているとの話で、

(コロナの関係で面会ができない)

当初心配したほどの状態でもなく、話もできているみたいで少しほっとして。

まぁまだ予断を許さないような感じらしいけど、

様子を見ながら、見舞いがしやすい近くの病院に移すとのことでした。

 

父親は糖尿とかはあるものの、特に認知症でもなく、

大きな病気にもかかってないし、

とにかく「体が劣化した」としか言いようがない感じに見えたので、

この辺りがテクノロジーでなんとかなる時代が早く来てもらいたいなあ、

とか考えたりしましたね。

自分に置き換えると、私は不老不死を割と本気で望んでいて、

そうなったらやりたいことがめちゃくちゃいっぱいできるなあと思うし。

いずれは人間は死ぬということはあるわけだし、

親がそうなることへの覚悟は、親しい親族の死を3回ほど見てからもうかなりできているんだけど、

できることなら生きさせてやりたいとも思うし、

自分自身も、いつか死ぬということを常に考え、覚悟をしながら生きてるわけですが、

伸ばせるものなら伸ばしたい。

死ぬことへの絶望がかなり深いんだよね。

若い時は、生きていくことへの絶望の方が深かったのに、勝手なものです。

 

まぁ、元旦からかなり異例な状況で、

正月気分もあまりないまま自宅に戻ってきましたが、

スピ系の動画を見ていたら、ゆくゆくはiPS細胞から臓器を作ることも可能になるという話があって、

早く実現しないかなあ、と改めて思った。

死というものがなくなるという話で。

かなり私の理想に近いなあ。

最近のテクノロジーの進化の早さを見ると、可能な感じに思えてくる。

 

自分の親のあんな姿を見ていて不謹慎かもしれないけど、

人体についていろいろと思いを馳せてしまいました。

どうにかこう、新しい入れ物に意識だけ移すとかできないのかな、とか。

そろそろできても良さそうなのになぁ。。