再度例のレビューを読んでみたんだけど。。。
私はこの映画よりも、レビューへの違和感がものすごいのかもしれない。
「ズレた若者」とか「打算的で浅はか」とか。
そういうふうに見えることも不思議だし、
そんなテーマで映画を作ると思えることも不思議。
打算的で浅はかな人が、永遠の対を見つけることや、
関係性を維持するのに頑張るだろうかと思うんだよね。
それも、同じ価値観を持ってる人に惹かれるとか。
打算的であればもっと違う選び方をすると思うんだけど。
この二人の行動とか発言を「浅い」と断じることへの違和感だよね。
若さゆえの至らなさはあるのが当たり前だろうけど、
それとは違ったニュアンスを感じる。
天竺鼠のファンなら?所詮この程度だろうと見下す?
物作ってる人がそんな理由で固有名詞を使えると思うのが不思議だよね。
同じようなフィールドで仕事をしてる芸人に対してそんなバカにしくさった使い方できないと思うんだけど。
麦くんも絹ちゃんもモノローグの内容は確かに中身があまりないといえばないけど、
ただひたすらに中身のないカップルを主体にして何かを描こうと思うことは、
正直言って気が知れない。
その中にもなにがしかの愛らしさとか、愚かだけど共感するとか、
そういった感情がないとなかなか演じることすらキツいよ。
滑稽な若者という言い方もちょっとねえ。。
リアルではいるよ。そういう人を見ることはある。
でもわざわざ、フィクションでまでそれを描いてどうしようというのか、
見た側にどういう感情を期待してるのか、私には全くわからない。
プラスの意味とか、希望に繋がる何かがなければ、
ものを作るモチベーションにはならないと個人的には思うから。
最初にこの映画見たときさ、すごく疲れたんですよ。
なんかその、カラオケ屋に見えないカラオケ屋での、
IT業界人とか、いかがわしい飲み会でテキーラ飲んでる陽キャとか、
それらがまとってる空気にすごく疲れる。
というか、そういうふうに表現されていることに疲れるのよ。
彼らが本当に、ひたすら何も考えていない軽薄な人種かは、
それこそあの表面的なものを見てもわかりはしない。
だけどそのように演出されていることと、
麦くんや絹ちゃんすらも「軽薄で打算的」だというなら、
この話には何の救いもないと思わざるを得ない。
初めから、麦くんと絹ちゃん以外の登場人物は本当にどうでもいい、
感情移入ができない、影絵のような感じに扱われていて、
それなのに、主人公の二人すらも「くだらない」というのなら、
私はこの映画で何を見ればいいのかわからない。
ここまで感情が劣化してるというか、
そんな風にしか人間を見れないとしたら、
ただただ恐ろしい、そういう感じで怖いんだよね。
全部忘れたい。