リンクした上の2記事を見ていると、
日本ももう終わってきたなという気持ちにさせられますね。
あくまで私の感想みたいなことで言うと、
元々、人を顔やお金などで判断するのは「あさましい」価値観だったわけ。
日本がそういうつつましやかな価値観だった時代に、
ある時、それが行ききって閉塞感に覆われてしまう時期があった。
私の感覚では90年代の後半。
もうさ、やっぱ元々の才覚や内面的な豊かさってのは、
お金ではどうにもならないものであって(金持ちでもドラ息子やポンコツも多い)、
割とその対決は答えが出ていたわけよ。
けど、それでやっていくと、もう逆転のチャンスが見えないわけじゃない?
諦めというのとも違う、固まった感じというかさ、
「自分はどんなにもがいても、人間性や才覚の素晴らしい人にはなれない」
みたいな絶望のような感じというかさ。
顔が良かろうが、金があろうが、どうにもならない問題ってのは、
実は山ほどあって、
生まれ持った境遇や性格や病気などの不幸とかね。
けどそこに触れるのは割とシャレにならないから、
いつからか、みな人前では無難なことにしか触れないようになった。
んで、どんどん、安易に触れやすい、人畜無害な話題ばかり選ぶようになり、
それがあたかも、真実であるかのようになってしまい、人を見る目をどんどん失った。
最初は、触れづらいから重い話題を避けていただけだったのが、
次第に「最初から無いもの」のようにされ(事の経緯を知らない世代とか)、
顔が良くて金を持っているのが正義のようになってしまっていた、
いつの間にかね。
私は歳がいっているので、
素晴らしい考え方、素晴らしいアイデアや才能、魅力的な人柄などが、
金では買えず、真似も難しく、どれほど得難いものかを痛感しているから、
上のマンガみたいなものはほんとくだらないというかさ、
あんたら浅い価値観で生きられて良いですね、という感じなのよ。
整形でもして上に立ったら?みたいなさ。
まあ整形したところで、顔面では太刀打ちできないものがいくらでもありますからね。
顔のことでそこまで悩めるのはある意味恵まれているように見える。
他に苦労することがないからだろうと。
それにしても、それだけで絶望するんであれば本当に顔面を整形したら良いと思いますよ。
顔面が良くなっても、それにつられて寄ってくる男とかさ、どう思う?
ほんとにそんなのでモテて嬉しいのかな。
例えば最近の芸能人の自殺者とか見てみ。
人も羨むような容姿や評価を持ちながら、この世に絶望するんですよ。
もう、はてブとか見る気もあんまなくなってきたな。
今のトップ記事が、なんかラーメンの広告の家事がうんたらとかでしょ?
ああいう議論はあっても良いけど、騒ぐほどのことではないから。
ただ、当たり前のように母親が洗い物を始めるところは何故描いたんですかね。
あれわざとじゃない?こういうジェンダーバイアスあるよっていう。
面倒くさいことするなあ。
心穏やかに過ごすには孤独が一番、みたいな、
最近までの自分のブログを見ても思ってしまう。
人間って、人と関われば関わるほど内面が貧しくなっていってない?
ネット記事はあまりにも内容が酷くなってきてしまい、
呆れてしまう。
掃除でもしよ。。