さて、昨今話題の、
「『死にたいなら一人で死ね、他人を巻き込むな』を安易に言うな論」
ですが。
この言葉ってさ、あんまりみんな気づいてないけど、
日常生活の中で、家でボケーッとテレビ見たりしながら、
家族とぶつぶつ言う時に何の気なしに言ったり、
職場なんかの世間話で言っていたり、
友人知人と話すときに言ったりする言葉でしょ。
別にさ、一般人はコメンテーターじゃないから、
思ったことを言うよね、そりゃ。
SNSとかも雑談の場だから、適当に言っちゃうんだろうし。
だからこの「死にたきゃ一人で死ね」の言葉の意味は、
加害者を責めたてる意味でもなく、
被害者に強く同情したわけでもなく、
なんとなく事件の印象を薄く受け取った一般人が、
親しい人と世間話のネタにするときになんとなく流す言葉であって、
それが部外者の感想というものだよ。
そんな大それた「世論」というわけではない。
もうさ、この言葉には怒りとかの感情すらないよ。
通り魔事件が起きたときに、自動的に決まり文句を言ってるだけみたいなさ。
他人事中の他人事みたいな。
なんかもう風景だよね。
でさ、私はこの、
「親しい人となんとなくする世間話のネタ」として垂れ流される、
全くと言っていいほど脳みそを通さない、ただの脊髄反射や、
これまでどっかで耳にした言葉をなぞっているだけの反応こそを、
割と強く憎悪しているんだよね。
こういう話って、している人間は悪気はないし、
むしろけっこう楽しいんだけど、
孤独な人間からすると、
これほどまでの憎悪の対象はないわけ。
何故なら、自分たちが親しいということを補強するためだけの、
ほとんど何の意味もない世間話であって、
これは、孤独で親しい相手を持たない者からすると、
「そんな暇があればこっちを助けてくれよ」と、
怒りをぶつけたくなって当然の態度。
言葉自体にも怒りが湧く上、
実際言ってる側には別に何の感情も大してなくて、
「○○だよね~、ギャハハ」の○○の部分が入れ替わっただけの意味しかないのに、
人を傷つける過激なワードを言っているわけだから。
私はさ、大げさに悲しんだり手を合わせたりする人たちも、
ああいう事件を起こさないといられなかった人間の心理って、
本当に考えてはいないと思うし、
日常で遭遇することもないと思う。
それこそがこういう事件の元凶なんだよね。
とことん他人事だと心の底で思えるからこそ、
「一人で死ね」と言えたり、または同情できたりするのであって、
リアルにそういう人間の実態見たら、
あんまり言葉って出てこないと思うんだよ。
だから能天気と言ってもかまわないんだけど。
まぁ、わかりやすくいえばぬるま湯に浸かった平和ボケには、
切羽詰まっている人の気持ちは知りようがなく、想像もつかないということ。
そう思うようになったきっかけは、
親戚にいる仲良し家族の影響なの。
そいつらはさ、もう本当に、
自分らさえ楽しくて、自分らさえ得をすればそれでいいのであって、
んで、自分たちはゆとりがあるから、おこぼれを他人に分けてあげるという態度で、
かなりの世間知らずなのね。
一緒に親戚の集まりにいても、独善的で、
用意された料理を、自分たちだけが真っ先に食い尽くしたりとか、
私が仕事してないときには、くそみたいな仕事を紹介してきたりとか、
とにかく人より上に立っていられればいいというだけのクズなのよ。
だけどさ、今の日本って、
こういうクズ家族でも、「子供を3人以上もうけている」として、
むしろ賛美するわけでしょ。
地方在住で一度も地元から出たことないし、
頭もよくないけどさ。
だから私は、仲良し家族も信じないし、
結婚や出産を美化する気持ちも一切ない。
自分が結婚を拒否しているわけではないよ。
ただ、あんなモデルケースを長年見せつけられたら、
「あー、地方の自営業の、一見何のケチもつかなそうな家族って、
実際クズだな」と思わざるを得ない。
自分たちさえ、世間体が保たれて、得をしていれば、
他人のことなんかどうでもいいのよ。
高卒のくせに平気で大卒のうちら兄弟をバカにするようなことも言うし。
「大学行ってもムダ」とか。
単なる負け惜しみだけどね。
そういうクズ家族どもが、
なんとなく垂れ流す「一人で死ねよ」には、
何の意味も、思いもないから、
別に警鐘鳴らす価値さえないと思うね。
立川志らくなんてほんとね、もう。。。
ただの親バカのおじさんだから。
そういうこととは切り離したうえで、
専門部署とか専門家が、引きこもり対策を粛々とやるのがいいと思うね。
連鎖的に起きた事件あるけど、
あれはそういう地方色だから。
子供をボロクソに言うというね。
子供と本当に分かり合えるとかどだい無理な親なのよ。
だから、どんなにお金がなくても、
親に見切りをつけて一人でがんばれよと私は思うんだけど。
きれいごとでは何の対策もできないよね。。