こういう記事を見て、「美しいものをより美しくするならいいが、
そうでないものに金をかけるのは無駄」とか言える人は、
おそらく相模原のあの事件の犯人とか、ヒトラーとかと考えが同じなのかもね。
もし自分がそう生まれついて殺されていたら、
とか考えも及ばないのだろうし、
そうやって平気で我が子を見殺しにできる家族についての考えも及ばないのかもしれない。
人って案外、実際に自分がその立場に立たされてみないと、
どういう気持ちになるかってわからないと思うよ。
お話や伝聞でのことで簡単に判断してしまうけど。
必ずしも、障害があったりするだけで全て不幸かどうかは、
解釈する本人や周囲による。
乙武さんのような例もあるしさ。
私は多分、感性が変わっているんだと思いますよ。
前に結婚披露宴の映像をチェックする仕事してた時、
結婚するカップルに対して、少しも美しいとか思わなかったし、
一切といっていいほど感動もしなかった。
両親への花束贈呈とか手紙の朗読とか見てもそう。
余興とかでは笑うけど。
もちろん、美男美女もけっこういたし、高い結婚式場ばかりだったので、
裕福な感じのカップルもたくさんいた。
でも少しもいいと思わない。
特に不気味だったのが、ホストとキャバ嬢みたいなファッションのカップル。
白いウエディングドレスとタキシードがあんなにそぐわないものはない。
五体満足の、幸福の絶頂みたいな人達見ても、
ほんとなんとも思わないのよ。
そんな自分が一つだけ涙が出たのが、
保育士をしている奥さんの、教え子たちがたくさん来ていた披露宴で、
赤白帽に体操服みたいな感じで、
子供たちが「先生おめでとうー」とかみんなで言うんだよね。
こういうのは理屈ではなくて、けがれがない感じがほんとに可愛らしくて、
妙にグッと来てしまって。
結婚ってさ、要は打算と汚れにまみれているわけよ。
式場も高いし、なんかトイプードルとか連れてバージンロードを歩かせて、
リングピロー運ばせる演出とかもさ、全て金であり見栄じゃん。
けど、その中で唯一けがれのない存在が子供だったってことです。
見た目のいい人間が、内面まできれいとか、
なんで簡単に信じられるんだろうね。
特に身なりを整えている人間は、金があるからだし、
大抵、顔面偏差値の高い人間はそれを自覚してますよ。
自分が甘えたりすれば大抵許してもらえるというのも、けっこうわかってたりする。
見た目がきれいなのをそこまで高い価値としてあがめるなら、
もう絶世の美男美女だけのロボットを量産すれば、
みながみな心がありえないほど美しい世の中になって平和じゃないの。
あれは映画だし創作の部分も多いとは思う。
それでもやっぱ、主人公の純粋さとかに心を打たれるんだよね。
こういう感動は、本当に最近ないものだった。
心を揺さぶられるものが、人の優しさや純粋さであったり、
温かさとか、考えの深さとか、
そういう、目には見えないし数値化もできないようなものであった時代は、
もう帰ってこないのかもしれない。
そう思うだけでとてもやるせなくなる。
せめて、そういう時代があったことを覚えている世代だから、
忘れないで「目には見えない物の価値」みたいな、
「言葉では言い表せないし、華やかでもないけど素晴らしい物」
みたいなことを、大事にしていけたらなと。
ニーノ・ロータの音楽なんかもそういうものだよね。
ただの古い映画音楽じゃん、
少し弱い子がおっさんにいじめられるだけの話じゃん、と言ってしまえばそれだけのこと。
でもやっぱ名作なんだよ。
音楽が特にいい。
そういうものを、「いい」と言い合える雰囲気が、
80~90年代のサブカル好きの人達の中にはめちゃくちゃあったから、
ほんとにあれは幸福だったんだなあと。
世界が全部美男美女で埋め尽くされたら、
それこそその美しさにはもう価値はなくなると思うし、
だからこその「多様性」だと思うんだけど、
そういった価値観は滅びる方向なんでしょうね。
まだまだ、ヒトラーみたいな考えは良くない、
という人がほとんどという世界であってほしい。。