「FF外から失礼します」に関する話なんだけどさ。
私はツイッターのヘビーユーザーではないので、
そもそもこの言い回しが自分のタイムラインにのってきたことがない。
なんかツイッターのまとめ見るとあるね、くらいなので、
そもそも違和感を感じるほど接していないというのが正直なところ。
多分、普通の人らもそうだと思う。
それを思えば、「ネット界が『世間』と同じになったから、
この言い回しが普通になった」とまで言うほどには、
そもそもスマホ民などには認識されていないように思う。
そんな大層な話には全く思えないんだよね。
まぁ、この言い回しどう思う?と言われれば、
「これを言わないでいきなり絡む人が失礼みたいに扱われるくらいなら、
別に言わなくてもよくね?面倒なルール増やしたくないし」
程度のことであり、
この言葉への順応性の程度で、遅れてるとかなんとか判断するほどの問題か?
と言うしかない。
私が興味があるのは、
この中途半端なSNSの相互監視社会の先にあるものなんだよ。
さっきも書いたけど、
SNSも含めて、私はコミュニケーション万能神話みたいなものにめちゃくちゃ疑問があって、
そういうことへのストレスを排したところでどのくらい先に進めるか、
というほうが興味がある。
会話そのものにけっこう飽きてるというか、
くだらない反応に対してだいぶ倦んでいる時間が長いんだよ。
もちろん連絡を取り合うのにLINE使うときとかはあるけど、
それ以外でネットでリアルの知り合いと絡むこともほぼない。
どれだけ考えても、やれ炎上がどうの、
つながり過ぎがよくない等と論じてみても、もうどうにもならないし、
自らの意志でつながらないようにするしかない。
そうなった後ネットがどうなるかにしか興味がないの。
そもそも私は、ネットをインフラだと思ってない時代にPCを買ったし、
あくまで娯楽みたいな位置にあるものだった。
だから常に、
「あんまり嫌だったらネット落ちすればいいや」程度にしか考えられない。
確かに災害時にはツイッターが役立ったとか言ってるけど、
それでも、人間にとってインターネットが必須とまではいえないんじゃない?
ネットを全然見ない人たちもいるのだから。
そういう自分の感覚から見ると、「ネットは世間になった」とまで断じられるのは、
やっぱり「そこまではいえない」という違和感がある。
ネットがなくなったら人がたちどころに死ぬ、ってわけでもないし、
もっといえば「世間」すら、無理に関わらなくてもいいものかもしれない。
一頃あれだけ騒動になったマツイ棒の人も、もう何やってるかわからないし。
LINEの家族とは円満につながってるのかもしれないしね。
それも、見なければ全く関わり合うこともない。
まぁ社会性ないですしね、自分には。
そして社会性を得ようと頑張ってもむなしいとも思う。
今の社会にそこまでの価値があるのか?という話ですよ。。