diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

しょうもない

思うに、これだけ情報が毎日垂れ流されているのだから、

既視感があるとかは当然かもしれないけど

 

「ネットに疲れ、スマホを置いて旅に出ました」の類ってさ、

けっこう最初のうちは叩かれたもんなんですよ。

 

私の叔母は、亡くなるまでとうとう携帯を持たなかった。

今は聞かないけど、ずっと「携帯拒否派」というのは存在していて、

上地雄輔かなんかが「携帯絶ち」みたいなの宣言したこともあった気がするけど、

確かあっという間にブログ更新したよね。

 

特にガラケー時代、携帯が日々進化している最中に、

「携帯なんかいらん」「どこでもすぐ連絡がつくなんて、束縛されてるようで嫌」と言う人は心底バカにされ、黙殺されてた。

「そんなものはやせ我慢」「ただの変人」といった処理でスルーされるんだよね。

そのくらい、「携帯を持つ価値」というのは絶対的で多数派で、

ファシズムみたいなものだった。

 

それがいまや、「スマホを置いて旅」みたいなのが「意識高い行動」

みたいな記事になるんだから、楽な社会だなと。

 

SNSをあまりやらない若年層もけっこういるというし、

お前らが勝手に「やって当たり前」だと思ってるだけだぞ、

ということはいくらでもある。

 

SNS上のあの承認欲求もさ、ほんとうざいよね。

「人と違うことが書きたい」から始まって、「面白い人が好き」と言い出し

そのうちネタが切れると(もともと薄っぺらいからネタ切れが早い)、

だんだんとただの愚痴・悪口・罵倒・八つ当たり・病みになっていき、

過激な下ネタを書いたり、内容がハードになっていく。

 

かと思えば夜中急に「ほんとは人見知りなんです」

「ほんとは下ネタ言えないんです」

の「ほんとはピュアでナイーブ」アピールが始まり、

突如きれいな景色の画像を載せてみたり。

好きな人のことを月を見ながら想ってみたり。

結局のところ大勢の人間とわちゃわちゃしたい、

チヤホヤされたいだけなんだよ。

 

忙しいなお前らは。

 

そんだけ何十回も一日に投稿してたらそらネタも切れるわ。

つーかそれ一日中見せられる他人の身にもなって見ろ。

ただの自慰行為だからそれ。

そこに「いいね」やコメントを求められる他人って一体なんなんだ。

 

私が最初にガラケーを持った時の感想、

「こんな、連絡先とかに人の番号とかアドレス入れたけど、

何にも言うこともないし、メールするほど今すぐ話したいこともない」

という戸惑いだよね。

 

今の私は職場との兼ね合いもあって、

番号やメアドを破棄することもできないんだけど、

わざわざ「スマホを置いて旅に出よう」って言うほどのことなの?

買わなきゃいいじゃん。

ガラケーに戻せばいいじゃん。

それを、自分の意志でわざわざ買っておいて、

なんか知らんけど依存気味になり、

しまいにスマホに責任押し付けて記事にするってね。

だいたいスマホなんて、金だって法外にかかってんのに。

ポケモンGOの時も思ったけど、

国民全員がやってるような言い方でニュースにするけど、

スマホ持ってない人は完全に蚊帳の外だからね。

 

「人と違うことが書きたい」

「面白い人が好き」

これって「私はつまらない人間です」という宣言に等しい。

日常の普通のことを言っても、価値がある人にはあるし、

頭をひねってネタを考えてもつまらない人はつまらない。

さも「自分は感性が独特で、何を書いても面白いから、

人が寄ってくるんです」の思い込みのタイプの奴って、

群がってきてる人間もつまんないから。

暇なだけですよ。

そいつがつまらないことも見抜けないんだから。

 

ブログ書いてるような人は、

ボリュームのある文章を書かなくてはならないし、

大勢でわちゃわちゃの感じもないから、そんな思わないけど。

SNSのしょうもなさはほんとに酷い。

 

そういった「ノリ」を、限界まで排除したところにしか、

もう価値あるものはないのかもね。。

 

本当に「意識の高い社会」は、

もともとから、携帯を持とうが持つまいが、

スマホを持とうが持つまいが、

SNSをやろうがやるまいが、

どちらの自由も認められ、尊重されている社会ではないんですかね。

「えー!○○もやってないのー?ありえなーい」

の差別が続いていくようではもうダメでしょうね。。