痛ニューの記事を真に受けてどうする、というのはさておき。。
この記事の中に、自らブタに扮した画像があったりするわけですが。
これから先、
完全にアメリカのみでやってくならポリコレ寄りでもいいと思うのですが、
そもそも、容姿をいじられたくなければ芸人にならないほうがいいと思うわけです。
これは別に、「芸人なら容姿いじりをされるのは当然」と言っているわけではない。
ただ、自ら体型をネタにして笑いを取りに行っていた以上、
いまさらそれを全否定することは苦しい。
笑いというのはそのくらい、理屈を入れると難しくなるものでもあると私は思う。
この記事の中にカズレーザーの名前が出てくることも興味深い。
「はっきり物を言うし、権力者になびかないし、
力抜けてるしかっこいい」などと称され、
若者層にやたらに評価されている芸人の一人ですが、
この二人の胡散臭さはすごく似ている。
何故なら、口ではどうとでも言えてしまうから。
かっこいい口調で何か言うことはいとも容易い。
けど、こういう人たちが、
例えばこの前話題になったアイヌの人たちに真剣に寄り添ったような活動をするか?
絶対しないと思う。
本当に差別を受けている人たちのシャレにならない気持ちは、
彼らには真に理解できないからです。
彼らが、例えば渡辺が、
太っていることで本当にひどいいじめを受けた、
美人系のタレントから嘲りを受けた、
道端で見知らぬ人間に石を投げられた、罵倒されたといったような経験があれば、
そもそも触れたくもない類の悩みかもしれない。
想像でしかないけれど、彼女がそれほど悩み抜いて、
コンプレックスを克服するためにネタにした、あるいは芸人になったというような、
鬼気迫るようなものは何も伝わってこない。
そもそも、私が彼女を初めてテレビで見たときは、
「少しぽっちゃりかな」くらいの体型であり、
今はその倍くらいになってると思う。
どちらかと言えば、「それを利用して笑いを取った」ことの方が、
コンプレックスで悩んだといったことを上回ってる感じが伝わってくる。
カズレーザーにしても、「上昇志向を持たない方が、
楽で、気を抜いて生きていられる」と言っているだけ。
それのどこがそんなにかっこいい、斬新な生き方だと思えるのか、
正直私にはよくわからない。
今の渡辺は、
「今の自分には、いい風が吹いている」と思うからそれに乗っかっているだけのこと。
何も起きてない時にわざわざポリコレ的なことは言わないと思うよ。
芸人がそういうこと言うとちょっと引かれるし、マイナスでしょ?
でも今は生き生きとしてポリコレ的発言をしている。
何故なら、今言えば誰も反対してこない、自分に有利な状況だから。
こんなもん、ただの日和見、ご都合主義と言われても絶対に反論できないよ。
その辺りで何も感じない、渡辺万歳と全面的に肩を持つ人らというのは、
やはり鈍感だと私は思うわけです。
それよりも、ブレストの中身が晒されて叩かれたことの方に、
よくわからないものを感じるし、
そもそもあの人が、普段から恨みでも買ってたと思う方が自然。
最近のLGBTにしても渡辺にしても聖火ランナー辞退にしても、
「そっちに乗っかってた方が、意識が高そうに見えるから」という、
実に浅はかな人間たちがなびいているだけという現実があるように感じる。
真に差別に立ち向かうなんて、ほんとに苦行でしかないよ。
そんな楽チンなものであるわけがない。
そう簡単に差別が解決できるなら誰も苦労はしません。