子供の頃、盆と正月は毎年のように親戚の集まりがあったのですが、
時々、その集まりが不快で、
1人で廊下や階段に座ってふてくされていた時があります。
そういう私を見て、「どうしたの?何かつらいことあった?」
などと思ってくれたり、声をかけてくれたりするような繊細な人は、
親、姉を始め、親戚一同にも誰一人おらず、
「なんだあいつは勝手にひねくれて」という感じだった。
常に自分らさえ楽しければ他人の気持ちなんてどうでもいい、
自己中の集団でした。
私は、学校で仮病を使って早退しても、
全く疑われたことがないほど、
どちらかといえば大人しく、たくましいというタイプでもなく、
そんな女子が落ち込んでいるのを見てさえも、誰一人心配などしない、
ガサツな人間しかいない、そんな地方、
地元を私は憎悪し、
わかってくれる人が現れる、
もしくはそういう場所に出ることを夢見ていたわけです。
東京は何でも恵まれている、
電車はどんどん来るし、コンビニやスーパーも山ほどあり、
文化的生活も送れる、
みな他人に干渉しないから生きるのが楽、
結婚しろとせっつかれることもない。
そんな単純な話じゃないんだよ。
地元にはわかってくれる人が全くと言っていいくらいいなかったんです。
サブカルチャーにのめり込むくらいしか、
逃げ場がなかった。
果たしてこのような悩みを、
正面切って言える場所が、今の時代にあるでしょうか。
いつもキラキラしたものに囲まれて、
むしろ「つながりすぎてめんどくさい」時代に、
孤独なんておかしいかもしれない。
でも、どんなに人が周りにいても孤独な時は孤独。
現に私は、一晩中ギャーギャー騒いでいる親戚の集まりになじめず、
孤独を禁じえなかった。
大人になったあとは、「友達と約束あるから」
とかで逃げるようにはなってた。
あいつらさ、親戚の集まりで、
「いかに自分らの関係が安泰で安定しているか」を、
何度も何度も確認してるの。
他にすることがないから。
不毛だよ。
田舎の人間関係はとにかくそれ。
これ以上仲良くなる可能性もないし、
発展する要素はゼロなのに、
それでもそこにしがみついて、
仲間意識で安心したい。
より強固にしたい。
今この瞬間、同じ空間に孤独に打ちひしがれている女の子がいることなんて、
気づきもしない。
だからあいつらが大嫌いでした。
田舎は、「コンビニまで歩いて30分」とか、
そんなことが辛いんじゃない。
理解者がいない。
私から見ればガサツなやつばかり。
そんで短大の頃から家出を繰り返してましたね。。
プチ家出みたいなやつ。
こういう問題ってあまり話題にならないけど、
今でもあるはずだよね。
いやなものはいやなんです。