diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

ふー

この前ギャル曽根がさ、

「人生最高レストラン」に出てたので見てたんだけど。

 

あの感じの話し方が苦手だと気付いた。

ギャル曽根が嫌いとかはないんだよね。

ただ、ずーっと力の入った感じで話されるのがちょっと怖い。

(共演者から「テレビショッピング」と言われてた)

 

で、今ツイッターのタイムラインを見てて、

同じ感じの圧を感じた。

何かさ、頑張った人がどうとか、

努力している人がなんちゃら、

嵐はいつまでも続くと思ってたのにだとか、

クリエイター同士の褒め合いとか。

 

そういうの全てさ、結局差異化なんだよね。

だったら頑張っていない人はいる価値がないのかとか、

嵐みたいなイケメンアイドル以外はつまらないのかとか、

作品がレベル低かったら無価値なのかとか。

 

疲れる。

どこまで行っても比較論だもん。

いいものを褒めるのは当然かもしれない。

けどさ、別に褒められもしない人が圧倒的多数であり、

そこは無視して当たり前なのかと。

 

ああいう、イケイケみたいな感情が苦手だから、

ツイッターが苦手なのかも、と初めて思った。

本当にきれいごとしか言ってないもん。

きれいごとが苦手なのは前からだけど、

興奮して自分の好きなものをしょっちゅう褒めたたえるみたいなものも、

なんかうざいというのが自分でもどうなのかと。

 

けどうざいもんはうざい。

全員が全員、そういう感じで主張し始めたらめんどくさいよ。

ただ、関係ないけど嵐の会見ってさ、

そんな力の入った人はいないけど、発言がきちんとばらけてて、

みんな同じ程度の発言量と、発言権があるのがいいなと思った。

普通ああならないじゃん。

ワンマンなやつが延々話し続けたりするじゃん。

そういうもんに疲れているのかもしれない。

腹式呼吸で話すのはいいけど、

無駄に力の入った口調は聞いてて疲れる。

 

SNSで作品をあげたりっていうのも、

認められるためには必要かもだけど、

他人の「いいね」とかでそういうものが上がりまくってるのがきつい。

知らんし。

別にいいとも思わんし。

 

まだ、盛大に過疎ってた2010年頃のツイッターがましだわ。

聞きたいことなんかそんなないでしょ。。。