diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

ふー。

年明け早々、有頂天のアルバム「ピース」を注文して、

さっき届いたから聴いてました。

元々のCD版ではなく、

96年に復刻されたCD選書というやつでちょっとテンション下がったけど、

気軽に扱えるってことでいいかと。

 

なんかさー、ケラさん自身はそんなに普段、

病んだキャラではないんだけど、

心配になるくらい音楽の世界は不健康だよね汗

その上、こんな曲を青春時代真っただ中にハマって聴いていた自分も怖い。

たださ、今のように不必要に健全な音楽を考えるとさ、

むしろそういう人間の方が精神力が強いのかなーという気もする。

辛い時に「辛い」と言えずに、

変にテンション上げたり、明るい話で紛らわすのって怖いからじゃないのかな、

みたいなね。

 

改めてCD版を聴いてみて思うのは、

アナログって途中で盤をひっくり返すじゃない?

(カセットもですが)

なので、真ん中くらいの曲のアレンジが、CDとアナログでは少し違う。

あと、当時レコードで必ず針飛びしていた箇所を思い出して、

「そういうのほんとよく覚えてるもんだなあ、不思議」という。

 

曲そのものはもう全部好きだからなあ。

私にとってはキーがものすごくちょうどいいので、

歌うのも全く無理なく歌えて楽しい。

まぁこんなもんを喜んで一緒に歌うのはやべーやつでしょうが。。

ケラさんは声がいい上に、

あんなに感情移入を拒否した歌詞なのに歌い方がエモいんだよね。

そういうバランスが好き。

 

しかしあんなわけわかんない歌詞は本当に唯一無二としか言いようがない。

というか、わけはわかるんだけどネガティブなんだよ。

昨今のV系とかもネガティブですが、また性質が違う。

基本的に未来に希望もないし恋愛とか現実とかを拒絶した世界よね。

で、当時はバンドブームではあったけど、

有頂天をコピーするのはけっこう難易度が高かったはずで、

それでも地元にコピバンやってる子がいたのは驚きですね。

見た目もコスっぽいことやってたらしいけど、

結局見ることはないままだった。

 

こんなに好きなバンドを、10代で知ることができたのは、

ラッキーだったのか、早過ぎたのかよくわからない。

で、その後は一般の人たちが聴いている曲を「学習」するために、

いろいろ知識増やそうという感じで聴いて。

本当に好きなバンドもあるにはあるよ。

でも、有頂天とか筋少で純粋培養されてしまったら、

ちょっとその先行く場所がないんだよね。

なので少し意識を現実に戻して、

「一般に流布されているものも、どういうものか見物してみよう」

という感じにならざるをえなかった。

有頂天はめちゃくちゃ好きだったから、満足はしているけど、

ちょっとバランス取ろうみたいなのもあったし。

 

まぁ、デビューして「ピース」が出たあと有頂天もいろいろあり、

東芝に移籍してからのアルバム「カラフルメリィが降った街」も好きだけど、

世界観はほとんど同じ。

特に「アローン・アゲイン」がめちゃくちゃ好き。

歌詞の言葉自体は少しわかりやすくなってるけど、

内容はもう同じだもん。

「ボロボロにめかしこんで それぞれひとりぼっちから始めよう」とかね。

インスタ等でフォロワー数自慢したり、自分を飾ることしか頭にない人らに、

この世界観は伝わらないかもね。

80年代は、有頂天のような価値観を支持する人が一定数いたことが、というか、

「いる」と認識できたことがすごく救いのある時代だよね。

今はもう、見た目飾ってドヤァ、みたいなものしか目に入ってこないもんね。。。

 

ま、あんなもんに青春時代に出会ったら、

今みたいに「歌うま選手権」みたいなもんにハマれないのも、

そういう意味での「歌のうまさに感心する」みたいなことに興味が湧かないのも、

全く無理からぬ話で、

歌の練習とかさ、そういう世界ではないんだよね、有頂天は。

あと、ただただ上手い歌というのを聴いてもそれほど楽しくないし。

それがどういうことかを、有頂天を聴くだけで全部理解できる、という。

 

まぁいろいろ考えてくと、これまでずいぶん、

「一般社会になじむ」ことを頑張って努力してきたんだけど、

そろそろもういいのかもしれない。

結論としては「どうせ本当には馴染めない」というのはわかりきってるわけだし。

なのでなるべく、社会から距離を置いた場所で生きていきたいと望むわけよ。

どこに行ったところで浮きますしね。

 

なんか、平成も終わりに近づくと、

「一周した」感じがあるなあ。。