diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

あー。。

久々にIDコールでツッコミ入れられてこっぱずかしいですが。。

 

ずっとネットの速度制限でネット落ちしてて、

何も書けなかったんだけど、

その間にはてなで事件が起こり。。

 

あのイベントさ、告知見て予約入れようかと思ったんだけど、

ネット歴の長い自分の直感として、

「やべーやつ集まりそうだな」というのは否定しづらかった。

だってさ、顔も知らないけど、

ネットウォッチというワードでつながってる人脈なんて、

あたたかい空間になるわけがない。

家でやってる分には実際に手斧は飛んでこないけど、

リアルで顔を合わせることの不気味さは割と引っかかってしまったよね。

 

あと、その土地が福岡という地方なのも大変引っかかった。

もしあれが東京のど真ん中だったら、

けっこうみんなクールにいられると思うんだよ。

スルースキルの身についてる人が多いと思うから。

そうではない、リアルでは感情むき出しのケダモノみたいな人間のうようよする地方都市で、

スルースキル身につけろと言うのは簡単じゃない。

そういう人間は地方では「ノリが悪い」ともっとも嫌われるからね。

だから私自身孤立してるんだし。

 

と、もろもろの不安材料が働き、

すぐに予約入れる気になれず、

放置してる間に忙しくて完全に忘れてて、

当日の夜に「あれ?あのイベント今日だったっけか」とか思ってるところに、

くだんのニュースがネットで流れた。

 

 

私自身は、「ネットとリアルは地続きになったら終わり」だと思っていて、

ネットは、リアルで居場所のない人の隠れ家という側面があったことは否定できないから。

それが、スマホ(主にiPhone)の普及で、

リアルでもドヤ顔でイキってるような輩がネットに入り込み、

バカッターみたいな投稿を始め、SNSに喜んで自撮りを載せ、

あげく顔面に自信のあるリア充が、インスタやFBでリア充自慢を繰り広げ出し、

それまでネットに潜んでいた人々は、

リア充どものそういった暴力に辟易して居場所を失った。

ネットは、そういったことに勝機を見いだせなくなった人らが、

自作のコンテンツで交流したり、

リアルでは言うと引かれてしまう本音を綴って共感しあうような、

ガス抜きの作用があったことは間違いないから。

白日の下にさらされたらもう機能できないものがたくさんあったわけよ。

 

はてブ廃止とかいろいろ言われてるけど、

本当に居場所を奪われた人の苦しみを、多くの人は理解できない。

そういう人間に安易に議論に参加してもらいたくない。

 

そもそも、SNSがやたら盛り上がる前のネットがどうだったかというと、

ブログが流行ってはいたものの、

個々の人達が勝手にHP持ったりブログ書いて発信するだけだったので、

そういう状態がだらだら続いたところで、

たとえいい文章があっても誰も気づくことすらできない。

純粋に、ネットのみの知名度でバズるというのはほぼ不可能なんだよね。

なので結局、アメブロみたいに芸能人ブログが幅を利かせる状態にもなってるわけで。

だからこそ、「ホットエントリ」とかで絞って記事を見れるのは便利なので、

はてなブコメをなくせば、

SNS以前の単に雑多なブログが乱立する無秩序状態に戻るだけ。

 

要はね、はてなには、

やれ芸能人ブログだラグジュアリーライフだのの浅い華やか記事ではなく、

少しでも「読むに値する」ものが集まっていたことに間違いはない。

FBとかインスタとかで他人のリア充自慢見ても胸糞悪いだけだしさ。

だからこそ、良い物も悪い物も集まりがちになるわけであって、

誰にも見向きもされない場所なら別に危険なことも起こらないと思うし。

 

私はさ、けっこうオウムの事件までさかのぼって考えてしまうんだよね。

あの事件は、「カルト集団が起こした迷惑な事件」で終わってるんだけど、

リアルに居場所を見いだせない人たちの巣窟だった面もあると思うし、

しかも優秀な人も多かった。

それを、「律儀にものを考える輩は単なる社会の迷惑」と断じ、

「まったり革命」みたいな言葉でむしろ援交コギャルを擁護した宮台さんとかがいたんだけど、

そこはハンドルを切り間違ったと私は思う。

援交コギャルはさ、「自分さえよければいい」の典型だから。

確かにあんな事件起こされても「怖いよねー」と他人事で済ませられるメンタルの方が生きやすいのかもしれない。

けど、そんな無責任な態度の人間ばかりになったらもう終わりだよね。

そういうことと、トランプが大統領になったことは無関係ではないと思う。

ポピュリズムが行ききっちゃったというかね。

ポピュリズムについては、多くの人が途中であきらめたよな、

という感じがある。

今みたいに無責任な態度で、「今自分が困ってなくて飯が食えればまあいいや」

みたいな態度が本当にいいのか、

もっと危機感を持つべきではないかという感覚は、

90年代には広く共有されてたと思うけど、

そこ過ぎたらもう、

「いちいちめんどくさ。今システムが回ってとりあえずやっていけてるならよくね?」

と思考停止してしまったことはけっこうあちこちで起きたと思う。

「それよかイケメンでも見て盛り上がろ!」

みたいなのがアイドル人気にもつながったと思うし。

思考停止して幼稚な子供でいることを良しとし、

重要な問題について考えることを放棄して、

そういう人々を「めんどくさい」「うっとうしい」で片づけるようになった。

 

なので、思えばけっこう同じとこでぐるぐるしているし、

同じ問題に対処できないでいるうちに、

どんどん事件自体短絡的でしょうもない雰囲気になって、

「たいへんな社会問題である」という感覚も薄れてるし。

「誰でも良かった」無差別事件みたいなものについても、

「あーはいはいまたそれね」という感じになってしまってる。

 

私はさ、そういう社会に背を向けて引きこもろうとする気持ちは、

本当によくわかるし、

実際今から引きこもるためにお金貯めたりするつもりだし。

社会にいて何の実りがあんの?という気持ちになっても全く不思議はない。

まともにものを考える人がバカにされ、

見た目の整った人間ばかりもてはやしてさ。

 

実際には非常にシンプルな問題のように思えてならない。。