ミシン届いた。
で、ボビンに糸を巻くところからやってたんだけど、
説明書を読む能力がかなり失われていた。。
そのとおりやったつもりなのにできてなくて、
ボビンを設置するとこの下に糸が巻かれてしまった。
まぁ、地道にそれをほつれないようにほどいて、
またやってみて、失敗して、というのを3回くらい繰り返した。
DVDがついてたからそっち見たら分かりやすかった。
もともとね、私はほつれた糸をほどくのとか好きなんで、
これ自体が苦痛とかではないんだけど、
めんどくさいよね。
よくもまあこんな面倒なことをしてわざわざ縫い物をしてたなと。
学校の家庭科の授業でいろいろ作らされなかったら、
私は型紙の使い方も知らなかっただろうし、
ボビンの糸巻きも上糸のかけ方も全く分からなかったと思う。
あと、前にはなかったけど、自動糸通しみたいな機能があって、
つうか手動なんだけど、そこも結構細かい作業で、少々疲れた。
こんな大変な思いをして準備をして、
自分で布を買ってきて断って作った物がバカにされた日には、
そりゃ手芸なんかやってらんないよねえ。
若かりし頃の感じを思い出したよ。
もちろん、一度設定してしまえば縫うのは難しくないけど、
ファスナーつけたりというのは未知の世界なので、
これもまた習得しないといけない。
実家にもけっこう高い金出して買ったであろうミシンがあるんだけど、
ほとんど母親が、ぞうきんを縫ってるのしか見たことない気がする。
ぞうきんだよ。学校とか家で使うやつ。
手縫いで充分だよ。
それを縫うためだけに何万も出して買ったかと思うと無駄としかいいようがない。
それでもミシンがないと困る場面はあったと思うんだけどさ。
私は、今の社会に逆行しているので、
おそらくミシンなどは「最もいらんタイプの家電」だと思うよ。
実際買ってみても思うし。
ただ、こういうモノを単に使いたい気持ちがなんだかあって。
実際しばらくセッティングしてみて、
「今現在使ってない脳」を使う作業だという気がした。
一発ではうまくいかず行ったり来たりするというのは、
効率重視の今の社会ではなかなかやることがないし、
コンビニのレジ程度でイラついて「電子マネー使わないやつはバカ」とか、
そういう社会では周りが迷惑と思うような行為なのかもしれない。
大人になると、やたらと世渡りみたいな部分ばかり求められて、
トーク力とか見た目を整えることとか、世間並みのことに追われる気がする。
でもさ、それをがんばって身につけたところで、
「世間並み」以上の何物も自分には残らない。
端的に言って面白くない。
私は、自分が何かの趣味を持ったところで、
また「これから先はいなかに引っ込んで隠居したい」という希望を持ったところで、
人に話せばくだらない反応が返ってくることを重々わかっているんですよ。
この前書いてた、職場のポンコツ女からも、
「えー、私、古民家で暮らすとか無理ー」とか言われて、
誰がお前に一緒に暮らせって頼んだ?と殴りそうになった。
例えば手芸が趣味で、自作の何かを持っていたところで、
やっかまれるか、小バカにされるかのどっちか。
別に見せるために作るわけでもないんだけど、
もうそういう、くだらない反応がきついんだよね。
世間では、金にもならない趣味で、
ものを作るとかそういうのは、ただの無為な作業と思うだろうけど、
だからといって、相互監視社会になり果てたSNSがそんなに楽しいか?
としか思えないんだよね。
インスタとかさ。
自分がネットに感じてた面白さはそこにはかけらもない。
投稿することも全くないしさ。
いちいち飯の写真載せたところで「で?」としか思えないし。
いつからか、「大変な思いをして作り上げた」「努力の末に完成した」
みたいな思いそのものが、
「なんかうっとうしい」ものとしてスルーされているのを感じているし、
「だから偉いのかよ」みたいなツッコミもする奴はするんだろうと思う。
私の場合は、「だから、努力なんかしたらうっとうしい人間にされてしまう」
という恐怖があって、
ある意味怠惰になってしまったんだけど、
ここまで何事にも共感できず、手を抜くことに意味を見いだせないのであれば、
何か情熱を傾けられることはあった方がいいなと思う。
ミシンは、昔と比べて思いのほか全く進化してなかった。
まぁよかったのかな。。
これって今の子供も使ってるってことよね。
ボビンを取り付けて上糸かけて下糸出して、のあたり、
だいぶめんどくさいよ。。