「終わらない日常」について書いてたので、
昔借りパクされたままになってた宮台さんの例の本を買い、
あらためて読んでみてたんだけど。
宮台さんは、サリン事件を「地下鉄怖いよねー」で済ますギャルには、
比較的肯定的な態度だけど、
「終わらない日常」については、全然ポジティブな意味ではなかった。
まぁハルマゲドン幻想とかそういう感じよね。
「こんなつまらない世界、早くなくならないかな」という。
けどやっぱりさ、そういうのは、
やっぱり特殊な思想だとあらためて思うかなあ。
終わらない日常では、
「モテないやつは永久にモテない、いじめられっ子も永久にいじめられる」
みたいに書いてあったけど、
そこまでのディストピアじゃないと思うよ。
「金もないし顔も頭も悪いからモテない」とか言うけど、
そこまで人ってまだ腐っていないというか、
個人の性格とか、内面に左右される部分も多々あると思う。
人間性っていうか。
そういうものこそ、外側からわからないし、
けど、内面が行動を左右するし、
そのことが人生や人間関係を左右する部分もかなりのものがあると思う。
必ずしも「コミュニケーションスキル」とかそういうことじゃなくても。
東京にいると、見た目のちょっとしたことで、
モテるモテないの全てが決まってしまったりするんだろうけど、
結局関わり方が貧しいと言わざるを得ないよね。
もう少し深く突っ込む、あるいは長く人と付き合わないと、
真の関係ってなかなか築けない。
個々の人の人生を見ると、
「終わらない日常」の一言では済ませられない要素が多大にあって、
しかも、退屈な日常が続くのであればむしろラッキーかもしれない。
案外とんでもないトラブルなんかも少なくないし。
「退屈さに耐え切れない」のは、一部のエリートとかインテリじゃないのかな。
少なくとも自分の地元では、
そんなことで日常に倦んでいる感じの人は見当たらない。
みんな、退屈で何の変哲もない日常に、むしろ安堵感を抱いているように思うし、
「日本が一番いいよね」みたいな安定志向の若者も増えてる気がするし。
社会学とかやっていると大変そうだな、と思うのは、
人や社会をそうやって一般化しないと語ることができないところで、
そうやって語る必要さえなければ分析もいらないしむやみに絶望もしない。
人なんて結局一般化はできないし、
しかも、刻一刻と考え方も行動も変わっているのだから。
今言ったことが次の瞬間には古くなるようでは、
語ることの意味もかなり薄れてしまう。
もともと自分には、理屈でどうこうするのは向いてないんだけどね。
「サブカルチャー神話解体」も、初めて買ってみたんだけど、
分厚いのでまだ手つかず。。