なかなかちょっと、難儀だなと。。
ミサイル通過の件は、私の地域は一応関係なく、
アラートも鳴ってないんだけど、
それでも緊迫感があったことは確か。
この前の早朝に速報が流れた時も、
「死を覚悟した」と知人は言っていたし。
あと、近年地震でけっこう揺れた地域なので、
そのときも覚悟をしたよね、一瞬。
やっぱ、反射的に恐怖を覚えるのは正しい反応だと思うんですよ。
それがないと行動につながらないから。
「どうせ脅しでしょ」というのがあまりに叩き込まれるのも、
いいこととは思えない。
宮台さんが言っていた「終わりなき日常」というのは、
実際にはポジティブな意味で使われてたと思う。
電車でサリンがまかれても他人事で、
「怖いよねー」の日常会話で終わらせるコギャルなどを、
「むしろそうあるべきかもしれない」と評価していた気がする。
けど、あのときとはもう状況が違う。
あの頃は、社会が固定化していて閉塞感が凄かったし、
高度成長期~バブルから続く安定感がまだどこかにあったので、
「終わりなき日常を生きろ」などと言って済ますことができてた。
というか、そうやっていろいろなことをやり過ごす「スルースキル」
みたいなものがないと生きるのがきつい、という話だった。
現在はトランプが大統領になり、実際にミサイルも飛んでくる状況になって、
そういう平和ボケはもはや許されないと思う。
それを、「シンゴジラだってどうのこうの」
などと言って済ませられる人の気が知れない。
最近になって、少しでも変なことがあると、
さっさと仕事を辞めていた自分が、
もしかしたらそれなりに正しかったのかもしれない、
という気がするようになった。
もちろん全部がいいわけではないと思う。
でも、日常にのまれることは本当に怖い。
そういうのって、平気で10年、20年、時間をドブに捨てることになるんだよね。
日常に流されて、ボサッと雑談をしているうちに、
そのくらい平気で経ってしまう。
若いときは無駄に焦っていたし、
そういう、「日常に流されるのが怖い」という思いが強すぎるあまり、
わけのわからないことをけっこうやって、
しかも何も実らなかったことばかり。
ただ、そういった感覚は別に間違ってはいないと思う。
あまりにも周りと馴れ合って、
「この日常がいつまでも続く」とあまりに思い込むのは危険な気がする。
「自分だけは大丈夫だろう」とかもね。
「だったら何ができるんだよ」と言われるかもしれないけど、
とにかく、日常に埋もれ過ぎて、
他人の気持ちとかどうでもよくなるようなのは怖い。
本当を言えば、雪で危険な道を無理やり歩いたりしてまで、
仕事とか行かなくていいと思うよ。
そういう感覚にこそ恐怖を感じる。
会社行かなかったら殺されるのかと。。。