さっき、くりいむ上田の番組で、
小泉さんの郵政改革の話をしてたんだけど、
まだあの頃までは、政治に方向性があったのかもしれない。
民営化が何のためにあったのか、当時はよくわからなかったけど、
今の都政のように「とりあえず人気ある人、見栄えのいい人選んどけ」
みたいな、
どこに向かうつもりなのか全くわからない感じじゃなかったと思う。
まだ志があったということよね。
「こっちに行かないと政治は良くならない」みたいな。
私は、最近の「体験型娯楽」みたいなやつは、
気休めに過ぎないような気がしてて。
体験って、確かに貴重だし、
やってみないとわからないこともあるけど、
とはいえ、世の中の全てのことを体験することはできない。
しかも、体験することで自信を失ったり、
「やめときゃよかった」ということもあるかもしれない。
テレビのような受動型娯楽を低く見る風潮があるけど、
かといって、無駄に体動かして満足するというのも、
さほど賢いとも思えない。
ニュース番組とかも、視聴者参加型が面白いかというと全然そんなこともないしね。
SNSを見ているとよくわかるんだけど、
結局、投稿することがないからわけわかんなくなってると思うんですよ。
でも「参加してる」という立場にはなりたい。
けど、みな道具に使われているだけになってると思う。
芸人とかが、ドヤ顔で「ツイッターやってますよ!」
とか言うのは、
「自分はネットに疎くない、いまどきのもんにもついて行ってる」と言いたいだけのことであって、
何を発信するかはどうでもいいんだよね。
ネットがまだPCだけの時代は、
それこそ「何を発信するか」が最重要のミッションであって、
まあ、ブログでもとりあえずアカウントだけ取るとか、
そういうのはあったよ。
けど、何も思いつかないならあえて書かないし、
無駄に更新するとたしなめられたりもしてた。
で、私はそれでいいと思うんですよ、本当に。
書くことないなら放置でいいと思う。
FBに関しては、ウケ狙いの投稿してもいいんだけど、
結局、「この投稿、いいねが1個もついてないね」みたいに、
まるで公開処刑みたいになるので、絶対書けない。
ブログ時代は、何の反応もないブログサイトが9割以上だから、
反応ないのが当たり前で書けたけど、
SNSはそういうわけにもいかんでしょ。
特にそこらへん、FBは不粋で、
「なんかかわいそう」「プークスクス」みたいになる場には、
さすがに入っていきたくない。
あそこは、あらかじめ地位や知名度のある人が、
フォロワーを何千人と抱え、
投稿すれば一瞬でいいねが何百とつく、
それをひけらかすツールだよね。
もしくは知り合いが同情でつけてくれるとか。
残念ながら私がネットに求めていたのはそんな世界じゃない。
逆に言えば、誰からも何の反応もなくても何かを表現できる、
ある程度のメンタルがないと昔はいられなかったし、
何かしら言いたいことがあるのが普通だったと思う。
今はもう、それこそどうでもいい飯や動物の写真に席巻されてるでしょ。
あんなもん一番どうでもいいわ(汗)
あんな毒にも薬にもならない投稿が一番恥ずかしいのにね。
PCユーザーが生きづらいのは当たり前なんですよ。
どこに向かえばいいのかわからない、
何をしたらいいのかわからないという時は、
どうすればいいかはっきりするまで、
それに正直でいるしかないと思う。
何もないのに、あたかも「何かすごいことをやります」
みたいなのは嘘つきだよね。
ブログ開設して、「ネタ切れしたな。。。」とか、
「ネット界つまんないな。。」という時期を長く過ごした自分には、
インスタとかを必死でやる人間の気が知れない。
「いいね」集めとかさ、よくやるよ、ほんとに。
私にそんなエネルギーはもうない。。。