なんかねえ。
私自身地方出身だから、
いなかを小バカにして見下すなんてそんなつもりは一切ないわけで、
それでも「地方はつまらない」と言わざるを得ない状況があるわけであって。
「休みの日にクラシックとか聞きに行けて、
美術館や博物館もあって、十分文化的」とか言える人は、
ほんと幸せだと思うのよ。
で、そういう人が音楽スクールで言う決まり文句は、
「あくまで『趣味で』」という、
別にわざわざ言わなくてもいい一言を言いたがる。
要は、「プロになるなんて、そんなそんな、
地に足のつかない夢のようなこと、いい大人が言うわけないじゃないですか、
才能だってないし、そのくらいのわきまえありますよ」みたいなね。
私はそういう態度を軽蔑してるんだけどね。
例えば音楽をやることに、
はじめっからプロとアマなんてないわけ。
で、スポーツでも、英才教育こそ善、みたいになっている今の風潮では、
「プロになれないんであれば無駄」みたいに多分思われてるわけでしょ、
わざわざ「趣味で」って言いたがるということは。
けど、音楽をやることに、
そもそも趣味もプロもないわけ。
結局はおんなじことをやってる。
プロだから特別なことをやっているとかは、ぶっちゃけないよ。
機材が違うとかそのくらいのこと。
そこを、「そこらへんのどこの馬の骨かわからないやつが出した音なんか聴けるかよ」
という意識でいると、一生何もやることができないし、
卑屈に「趣味で」とか言うような人間になる。
私は、もうクッソ上手い先生達と一緒にやってるけど、
先生らがそんな差別意識持ってたら誰にも教えることなんかできない。
生徒なんて馬の骨だらけなんだから。
地方の人って、カルチャーを生業にするとか、
それで生きていけるという発想がどうしても持てないわけよ。
しょせん「休みの日に消費する観客」のスタンスしか取れないと思ってる。
東京だと掃いて捨てるほど業界人とかいるけど、
地方に住んでるとほとんどそういう人間を見ないから、
自分らは日々音楽とか聴いて生活してるくせに、その世界を特別視してて、
いざ仕事ってなると「食えるわけがない」と、
知りもしないくせに決めつけて、想像でものを言うだけ。
そういう特別感が地方なんじゃないの。
で、我々のユースカルチャーは、
休みの日に美術館行けるしクラシックも聴ける、みたいな、
そういう感じがいやだったからこそ地方が嫌いだったわけで、
特に何も発展しない保守的なカルチャーを忌み嫌ってたわけよ。
私は昔の巨匠とか好きだけど、かといって、
それだけを見てカルチャーだと言ってる感じはもうただの田舎オヤジだろ、
としか思えなかった。
今はそこまでは思わないけど、
そういった巨匠を介してどういう会話ができるか、
ということにかかってると思うんだよね。
美術館行くことで満足しているんだったらバカでもできますから。
そういう、カルチャーに緊張したり、
文化に「触れている」だけで「人と違う」みたいに思えるレベルが地方で、
仕事にすることに特別感を持たなくて済む場所が東京だから、
明らかに違う場所なのよ。
それがわからないんであれば別にいいし、わからないほうが幸福だよね。
まぁ今は、人付き合いもほとんどないし、
かといって孤立してるって程でもないし、
なんとか生きられないほどでもないって感じでどうにかこうにか存在しているだけこと。
なんかね、表現しづらいけど、
東京にいるとずーっと旅行者みたいな感覚で、
ワクワク感がなくならないんだよね。
どこの街に行ってもそこそこ活気があるし、
面白いものも見つけやすい。
だから、東京で一人暮らししているほうが、
なんだかんだテンションが高いまま暮らしていける感じはある。
ストレスで潰れそうなときもあるにはあるけど、
それは、地方で排除された絶望感よりはけっこうましだと思えるんだよね。
ま、今はけっこうニュートラルなんだけど、
衣食住が充実していれば都会なんて、
そういう勘違いはちょっとね。
私は本当に、子供のころから衣食住に困るような生活はしたことなかったけど、
(てかむしろ物や文化には恵まれてたほう)
それでも地方では絶望してましたからね。
妬まれていじめたりもされたし。
やっぱ先鋭的な場にいたい人にとっては退屈だよ。
全然違うもん。。