「カルテット」見ているんだけど、
別にキュンキュンも求めてなければ、
逃げ恥の流れでもない。
まぁ、高橋一生さん見たかったというのはありますが。。。
この前の放送はけっこう急展開だったけど、
最後に大倉孝二が出てくる。
んでそのことでふっと気づいたんだけど。
大倉さんといえばナイロンですが、
私は結局、若いときから芝居とか恋愛ドラマに「キュンキュン」を求めたことがないということ。
それって時代という面もあって、
カルテットの脚本の坂元さんが書いた「東京ラブストーリー」大はやりの時期は、
世の中はとにかく恋愛至上主義に席巻されてた感がある。
トレンディドラマと呼ばれてるものは全部そうだし。
そういう頃にナイロン(当時は健康)の芝居は、恋愛要素はほぼ皆無、
あったとしてもそこでキュンキュンというようなものではなかった。
そのことが、どれだけ自分の心を楽にし、
隠れ家的によりどころとなってたかを感じるというか。
恋愛系ドラマに「キュンキュンする」という人達に私は共感できないし、
この前のカルテットでいえば「すずめがけなげすぎる」とか、
そういう感慨は私には全くないんです。
何故ならば、そういうことはリアルの恋愛で自分がやればいいだけであり、
もっといえば口にも出さない、おくびにも出さない「好き」なんて、
あまりにも山のようにあり過ぎて、
気持ちを押し殺すなんて日常茶飯事というか、もう当たり前。
家森の「言葉と気持ちは違う」「好きにならないようにしてる」とかは、
私はもう叩き込まれているんで、別に感動もしないしうるっとも来ない。
昔からそうなんだけど、「愛していると言ってくれ」とかも、
トヨエツ見たさに見ていたし、
ストーリーへの思い入れってほぼない。
どれほどそれがリアルであっても、恋愛ものにはさめてしまう。
それよりも「銭ゲバ」とかのほうがまだ入り込める。
シザーハンズのエドワードとか。
恋愛っていうのは、やってる人たちだけのものであって他人は入り込めない、
なので共感のしようがない。
それって恋愛ソングにもそっくり当てはまることで、
「君を思う僕」みたいなことを歌詞にされても、こっちは蚊帳の外なんで、
もう少し、リスナーに共感の余地与えてくれないかなーと常に思う。
カルテットも俳優見たさであり、
話の展開見たさで見てて。
なのでレビューもあんまり読まない、
そもそも共感できない恋愛ドラマのレビューに共感するのは無理なので。
さーっと目を通して「あ、やっぱ自分とは違うな」という確認作業のみ。
たぶんね、「このレビュー最高!」とか、
ああいうので集っている雰囲気も苦手なんだよね。
でも、何の集まりでも苦手ってわけじゃないんだけど。
ドラマの感想なんて、完全に人それぞれであり、一致するわけがないし、
「伏線がどうの」とかね、大きなお世話なのよ。
気づけば「ああ」ってなるだけであって、
他人の感想を取り入れたところで感動できるわけでもない。
そういうの邪魔なんだよね。
どれだけ自分にとってグッと来るかは自分にしかわからないんだから、
人に感想言われても、それこそ夢の話と同じ「へー」ですよ。
まぁ私は、他人の夢の話は嫌いじゃないですけどね(笑)
だから、「他人の夢の話は退屈でしょ?」みたいにコンセンサスを求められるものは基本的に苦手なんだよ。
朝ドラも、「何これ?」という感じになりつつありますが(汗)
刺繍が趣味の主人公なんて、こんな地味な設定二度とないだろう、
というので見始めたので、
まあもういいんですけど。惰性で見てるだけだし。
私が好きな恋愛ドラマって、「結婚できない男」とかだし、
なんか笑える要素がないとダメなのかなあ。
あと、堀北さんは「野ブタ」がピークだと思ってて、
あれはいじめられっ子で、前髪でほとんど顔見えない、
みたいな役どころだったし。
まぁ、カルテットって、変なミーハーな感じの役者が出てないし
(ジャニーズ系とか若手イケメンとか)
落ち着いた大人な雰囲気というのも見やすいのかもね。
なんかもう、チャラチャラしたもん見るの限界なのかも。。。