最近急に現れだしたのは、
ネット上でのエロ系のコンテンツが野放しになっているせいなのか、
本物のビッチという存在なのかもしれない。
彼女らは、エロ系メディアを見ることに罪悪感などはなく、
むしろ性経験の少なさを恥と思い込んで、
いつの間にやら正真正銘のヤリマンへと変身したのかもしれない。
ある意味、ネットでの情報が正しいと思い込んだ世間知らずがもたらした弊害ですかね。
私の子供のころは、
近所に別の男性と不倫・失踪した友達のお母さんというのがいて、
結局戻ってきたっぽいんだけど、
何年たっても良く言われてなかったという気がする。
もしもそれが、病的な男好きなら仕方ないけど、
たった1回の過ちとか、だんなとの生活が耐え難い末のことだったとか、
そんなんだったらかわいそうだなと思ってしまう。
それにひきかえ最近のビッチは、
毎日のように、事細かに何があったかをSNSで報告し、
ビッチであることを公言し、
「ヤりたい」「ヤり過ぎてどうたら」とか、
そんなのは日常の発言。
だから、「同じ男とヤッちゃった仲間」と会っちゃうことも珍しくないし、
振られれば振られたで、
数日後には別の男の家でごはん食べながらピースサインの画像。
顔写真も出してあれができるのは、
もしかしたら露出狂の気があったりするのかなあと思いながら、
まぁありていに言えば、
「リアルに重篤な性病が流行っているけど大丈夫なのだろうか」
ということでしょうか。
あと、AVみたいなプレイを、本気でああいうことはするもの、
と思い込んで実際にしてしまうというのも、どうなのかと。
そのあたりも、一人でああいうメディアに接していると、
「やるのが普通」と思い込む痛い若者も少なくないってことなのかな。。。
昔とは変わったね。
人間関係ってさ、意外と作ったら作ったで面倒なものもあるじゃない?
一度「この人とはこういうことをするもの」だとか、
固定したものがあったりすると、
そこからまた元に戻すのが面倒だったりもする。
深い仲になるってことは、そういう部分を共有することにもつながるし、
また、共有をとことん避けるとなると、
感情も排して、会う場所もお金のかかる場所を選ばざるを得なくて、
コストがかかる。
最初っから、「ただただ遊ぶために」と割り切って人と会うのも、
案外お金もかかるし面倒な気がする。
何せ、甘えようとかなんとかは許されないのだから、
そんなんで会っても緊張するだけで、楽しくないと思うんだよね。
性経験が豊富、というのは、
「期せずしてそうなった」というのならいいのかもしれないし、
ちゃんと毎回真剣に付き合ってます、ってのならいいと思う。
しかしはなっから遊ぶつもりの関係では、
なんとなく虚しさしか残らない気がするなあ。
ましてや援交なんて。。。
こればっかりは理解できないんだよなあ。