ちょっと、時期的にいつくらいからかはっきりとはわからないけど、
おそらく私がSNSの登場に辟易した少し後、
ゼロ年代半ば以降くらいからだと思う。
目にする情報とか、人の発言が、
恐ろしく質が下がってしまったと誰もが感じているように思う。
その原因としては、昔と違って、
まともな意見を言うとかえって絡まれたり、いちゃもんをつけられたり、
いつからかネットってそういう陰険な面が出てきて、
まともな心ある人は、「人目につくところで価値ある話をするのはやめよう」
という傾向になったからという気がする。
もっと賢い人は、そもそも双方向の関わりを持たない形での、
日記とかブログを書いていたし。
そういう場で意見を言ったり絡んだりして来る人ってけっこう変でしょ。
イベントの質疑応答なんかでも、一定の割合で変な人が質問とかするし。
ネット以外でもそういうのはあるから、排除することは難しい。
なのでどんどん、クローズの場でしか大事なことを言わないようになったのかもしれない。
それにしてもネット界が酷いと思うのは、
やっぱ「つまんない人間ほど大手を振って歩く世界になった」
ってことなんじゃないかな。
どんなにくだらない酷い投稿があったとしても、
まともな人の発言とかがあって中和されればそこまでストレスにはならないけど、
今はまともな人があんまりまともなことを言わなくなってしまったし。
「叩かれない程度に無難なことを言う」だけだしね、特にテレビなんかでは。
で、ネットではちょっと裏に潜ると罵詈雑言の嵐。
「信じられるものは何もない」と思うには十分な状況だと思う。
私の場合は、若いころのストックみたいなのがあって、
実際に関われなかったとしても、
信じられる人が世の中にはけっこういるという精神的な支えみたいなのが、
なんとなく地盤に形成されてるのかな。
「何もかもダメだ」とまでは思わずに済む土台が少しはある感じ。
若いころにさんざん、「何もかもダメだ」と思っていて、
そのたびになんとなく救われる人や出来事があって、
どうにかこうにかやり過ごせてこれたから、
状況はダメだけど、どっかには分かり合える人がいる、
みたいなふうに思えるようになったのかもしれない。
だから私は、まぁポジティブなことを言うのも大事だけど、
「いまの現実への絶望」を言う人の方が信頼できるな。
やっぱ酷いのは酷いよ。
目にするものが酷い。
のさばらせてはいけないものをのさばらせてしまったという感じかな。。