97年版の「不機嫌な果実」の件でいろいろ考えていたんだけど。。。
あの当時の女性で、そこそこレベルが高い生活してる、
という自覚のある人々は(家が裕福、都会に住んでる、容姿に恵まれてる等)、
結婚がある種のステイタスであり、
「人間は服を着て生活するもの」という価値観と同じくらい、
疑問をさしはさむ余地もなく「するもの」であり、
その中身で、失敗か成功かを問われる、
全て「人目」や「世間体」で規定されるものだったのだろう、
という想像がつく。
なのであの当時若かった人が、結婚を嫌悪したり、疑問をもつようになったことも、
別段特殊だとか負け組だとかそういうことは全くないという気がする。
人としてまともな判断だったのかもしれない。
あのドラマの主人公は、常に周囲の目や女友達のマウンティングに汲々として、
自分自身の幸福とかをそれほどまともに考えていない。
けど、それがあの時代のリアルであり、
おそらくバブルとかも引きずってたんでしょうね。
今のように「ネット民」みたいなものが存在する時代では、
多少金がなくてもそれなりに居場所もあり、
ブログなんかでの人気記事でも、やれ100円ショップだのしまむらコーデだの、
安い店でものを買うこともさほど否定されていない。
たぶんあれは、妬み嫉みを回避する処世術だと思うんだけどね。
ネットってものすごい数の人を相手にしてるから、
防御の体制が必要以上に働いているので。
90年代は貧乏臭いだけでほんとバカにされたりしてたもんね。
今は逆に、結婚が希少価値のある「勝ち組」扱いだけど、
それって結局、「とうとう結婚しなかった」
当時の人々の存在を踏まえているはずなんですよ。
計算ずくで結婚したり、男を値踏みしたりする女に心底嫌悪を抱き、
お金に困らない生活をしながらぶーぶー文句ばかり言う、
そういう女にだけはなりたくない、そういう思いがあったと思う。
今ではアラフォーで独身の女性を見て「みじめさ」だけを勝手に受け取り、
「ああいうふうにだけはなりたくない」という反面教師という感じで、
早婚化しているんだろうけど、
「不機嫌な果実」を見れば、反面教師扱いにされている女性たちの、
計算高くはなれなかったセンシティブさがわかるような気がする。
つまりはね、あのドラマに出てくる女たちってほんと最低なんだよ。
絶対に金に困らない生活はしたい、男にモテてもいたい、
ステイタスは保ちたい、周囲の女友達に勝ちたい、そんなんばっか。
当時からサブカルチャーにのめりこんでいた自分には、
そういう女はまったく魅力的には映らなかった。
それでも、一周回って彼女らは「賢い」とはいえるんでしょうね。
要は、自分には「結婚以外に居場所はない」という諦めだけはあるわけだから。
どれだけつまらなくても、不倫しても、姑に嫌味を言われても、
「結婚しない」という選択肢だけはありえないんだよ。
自分ひとりで金を稼いで生きていっている女は、
「モテない女の代表」とでも思ってるのかもしれないけど。
ひとことで言えば、日本はそれだけ封建社会であり、保守的であり、
女性のレベルが低いといわざるを得ない。
というか社会全体かな。
多様な生き方を選ぶことはできるのに、決してそれはせず、
周囲をキョロキョロ見て無難に受け入れられ褒められる生き方しかしない。
「モテないから結婚しないんだろ」と槍玉に上がるのはいやだから、
ひっそりと生きているであろう女性たちの、
安易に結婚に逃げなかった姿勢は誰からも評価されない。
でもまあそんなもんです。
本当に価値あるものは大抵、おおっぴらには評価されないものだから。。