diary

自分の考えをまとめ記録しているブログなので、批判ブコメの類はご遠慮ください。削除します。

うぅ。。

今日、というか昨日か、

心底行きたくないと思いながら、金のために我慢して行ったんだけどさ。

意外に暇だったけどそれでも不愉快な職場だった。

やっぱ無理だなーと。

出勤すべき日はあと3日なんだけど、

その3日ですらなんとか回避したいほどうざい。

 

んで、同じ派遣会社で同期の子で、

なんか急に見なくなった子がいたんで、

久々に「あの子どうしたんです?」と担当者に聞いてみたら、

「実はメンタルを病んで来れなくなった」とか言われたんだけど、

そんな言い訳が通じるならこっちだって病んでるわ。

病んでるから行けない!!って声高に言いたいわ。

けど辞めさしてくれる気配ないのよ。

 

今日のように暇な日ですら不快な思いをするのに、

繁忙期とか考えただけであり得ないし、

お盆の時期の多忙&クレーマーの多さは、思い出すだけでトラウマ。

 

二度と行きたくないわ。。。

 

とりあえず明日から次の職場の出勤始まるんで、

そこ行ってみて気持ちが変わればと。

 

電話の仕事はもうほんとイヤ。

というか今んとこがクソ過ぎますけどね。。

しんど。。

あと実質4日出勤すれば、あのブラック会社辞めれんのね。

つくづく、上の人間が「なんでそのくらいのことできないの?」

「なんでわかんないの?」という態度のパワハラ体質が染みついた会社だった。

派遣会社も、こっちから言わないとなかなか保険証を渡してこないし、

非常識というかね。

 

んでとにかく体力を奪われる仕事だったから、

やたらとおなかすくしさ。

昼休みの時間も1時間与えてもらえず、時間足りないし、

お昼を軽く済ませていると夜とかに倒れそうになるし、

よくあんな条件でみんないるなと思うけど、

同期はもう3分の1になった。

短い期間でめちゃくちゃ辞めていったよね。

 

私ももう、体力も気力も限界なので、本当を言えばもう1日も行きたくない。

で、次の職場ともけっこうかぶってるので、

無理して行くと9連勤とかになるので、

けっこう悩んでて。

体調不良とか言って休むしかないんだけど、めんどくさいな。。

 

早く辞めたい、心から。。。

あー。。

なんかさ、さくらももこのデビュー期をこんな鮮明に覚えてるのも、

冷静に考えると不思議でもあるんだけど、

当時の自分を思い出して、たかだか中学生くらいの子供でも、

もうかなり考え方は大人っぽかったのかも。

だってさ、あの頃のさくらさんの作風ってかなりシニカルで、

やれ清水市地震避難訓練が多かっただの、

クリスマス会で出てきたサンタクロースがミマツ屋のおやじだの、

およそキラキラした少女漫画の世界ではなかった。

それでも普通に読んでいて、

「自分も、正統派よりも別の路線で描いたほうがいいかも」とけっこう思い悩んでたりして、

かなり自立心が旺盛だった感じがする。

やっと中学って時期なのに、もう将来はマンガ家と決めて、

投稿とかしてたからね。

私の場合は、致命的にストーリーを作るのが苦手で、

18歳くらいでは少女マンガに見切りをつけて、「スピリッツ」とか読むようになってたし。

けどまぁ、その頃にしたってカルチャーの絶頂期だから。

すごい作家が多くて、平凡な自分には活路はないって感じになってたかも。

 

私がよく覚えているのは、名前が思い出せないけど、

デビューの頃に家の引っ越しがあって、押し入れの中でネーム作ってた、

みたいなことを書いてた人がいて。

当時は高校生くらいでデビューするのが普通だったので、

その人もかなりデビューは早かったはず。

そういう体験談を読んで、なんかあこがれを持っていた感覚というのは、

割と覚えてるんだよね。

今調べてみたら、どうも「なかよし」でデビューした作家っぽい。

 

その少しあとになって、NHK-BSで「BSマンガ夜話」とかもあって、

そういう番組では、凡庸な少女マンガは取り上げられないので、

そのあたりから、

「世間から見えている少女マンガの世界って、

ほぼ無視みたいな感じなんだな」という感じがあって、

割と失望したかもしれない。

けど、案外ファッション雑誌とか読む前の自分は、

マンガからヒントを得て着たい服とか考えてたかもしれない。

小椋冬美さんなんか、めちゃくちゃスタイリッシュだもんね。

当時の少女マンガは相当大人っぽかった。

一条ゆかりなんてさ、大好きだったけど、

短大生の女の子の処女喪失のストーリーとか、

事細かに書いてたしね。

閉じている世界だからこそいいわけで、

そんなものをおおっぴらに異性に読まれたらたまったもんじゃない。

 

1980年って、一条ゆかりの「砂の城」がりぼんで連載してたらしいけど、

この年はつくづくすごい年だなと思うなぁ。

「なんとなく、クリスタル」もその頃だけど、

全く古い感じしないしね。

そこからほとんど進化していないともいえる。。。

んー。

うーん、やっぱ触れなくてはいけないのかなあ。

さくらももこさんの件。

あまりにもテレビとかで大きく扱われているので。。

 

われわれの世代?からすると、

「20年以上放映されてきた国民的アニメ」という評価自体、

おそらくぴんと来ない。

ただ、そのムズムズ感というもの自体が、

実は途方もなく昔の話になっていることに、まったく頭がついて行っていない。

実はりぼんで大々的にさくらももこデビューとなった頃が、

私はまだぎりぎり中学にあがるか小学生くらいだったというのが、

本当に思い出しただけでも衝撃。

で、私はその前には「なかよし」のマンガスクールの小冊子を定期購読していたり、

りぼんに投稿もしていたくらいの「マンガ家志望」だったので、

さくらももこの登場は本当によく覚えてるわけよ。

けど「84年デビュー」というのを改めて聞いて、

「え?そんな早かったっけ?まだおニャン子クラブとかも出てきてなかったっけ?」と、

時系列がよくわからなくなって戸惑ったという。

 

だから要はね、あの人のデビュー時期が、

ある意味では少女漫画のピークの最後期だったという気がする。

その後のカルチャーって、完全にバンドブームやらバブルに席巻されるので、

恐らくなんだけど、さくらももこデビュー以降って、

そんなにめぼしい作品がりぼんから出てこなくなる。

自分自身りぼん買わなくなったし。

それどころか音楽好きになって、マンガを描くことをあっさりやめてしまった。

なんとなく世代的に、少女マンガは「ダサい」という扱いに一転するんだよね。

そこでも、いかにもの少女マンガテイストではなかったちびまる子は、

うまく時代をサバイブできたのではないかという気がする。

そっからはもう、カルチャーはやれ渋谷系だ、ナチュラルテイストだという方向に一直線となり、

それは今の時代と完全に地続きでしょ。

昔ながらのアイドルがもうそのままでは世間に受け入れられないように、

昔ながらの少女マンガもそのままでは受けなくなってしまったように思う。

描けるテンションにならないというか。

私はどっちも好きだけどね。

 

なんとなく、テレビ業界とかでは、

ちびまる子は「いい話」「ほっこり」「感動する」「老若男女にウケる」みたいになってて、

そういう面も確かにあるんだけど、

りぼんであのテイストで出てくること自体、

正統派の少女マンガ家を目指してたほうからすると「負け組」なんだよね。

だってさ、りぼんという少女マンガ誌で「うちはびんぼう」だよ?

ボロボロの家での婆さんの生態とか描いてるんだよ。

一見根本敬かと思うような画風ですよ。

しかも、さくらさんは人物の後ろ姿が描けないんだよ。

描けないことも作品の中で言い訳して通ってしまうという、

ある意味ずるい作風なわけ。

今はもっと厳しいでしょ。

とんでもなくうまくないと評価されないし。

画力がないというだけでボロクソに叩かれる。

そういう、今ではあり得ない立ち位置で評価されてる人というのが、

このコンプライアンスにうるさい時代では、なかったことにされてるんだよね。

「目の付け所が違う」とか、そんな生易しい言葉で片づけられないですよ。

女性として素敵、と思われることを全てかなぐり捨てないと、

あの表現はできないよね。

 

まる子がアニメになるというときも、すごく違和感があって、

なかなか直視できない感じがあって、

なんとなくこっぱずかしかったのかもしれない。

本来であればものすごく閉じた、女子同士でひっそり盛り上がって、

コソコソ楽しんでいた少女マンガという世界から、

突然メジャーな世界に公表されるというのも、感覚的に戸惑いがあって。

なんか自分らの恥部を見ているようでさ。

だってさ、まる子は確かに小学生だからかわいいけど、

あれ、口調はもう婆さんみたいなもんだから。

90年代に20代に入ったわれわれ世代が距離を置かざるを得ないのも仕方なかった。

今だって同じでしょ、インスタ映えの世代がさ、

BBAとか劣化したとか小バカにされるようなことをあまり表立ってできない。

あくまでもかっこよくて素敵で羨望されるような、

ラグジュアリーなものしか認められないんでしょ。

本当は全て欺瞞でしかないんだよね。

実際には貧相な自分と向き合いたくないだけよね。

 

ああいう作風でデビューしたことも、その後さくらさんがスターのようになり、

メジャーなもの扱いになったことも、

全てが現実感がなくて、まだ嘘なんじゃないかという感覚すらある。

そのくらい、実は身近なものだったような気がする。

身近過ぎて冷静に語れない感じ。

いまだに、「りぼん」誌以外での高評価の空気には直面できないんだよね。

なので「亡くなった」というニュースですら嘘のようにしか思えない。

ショックはショックなんだろうけど、

この20年で売れたこと自体ぴんと来てないのだから、

そうやって大々的にニュースに取り上げられてること自体、受け止められないのは仕方がない。

 

今朝も「ワイドナショー」でこのニュースが取り上げられてて、

アニメに最も詳しいとしてロバートの山本が出ていて、

アニメの泣ける回の話のこととか語ってたけど、

特に腹立つとかはないけど、あれはもう別世界の話なんだよね。

りぼんでデビューしたさくらももこ、というイメージとはあまりにもかけ離れてるから。

売れていろんなものが独り歩きしたんだなあと思わざるを得ない。

 

で、そういうことを正面切って言う人間が一番嫌われるんでしょうね。

「せっかくいい話という雰囲気になっているのに水差すな」みたいに。

難儀な社会ですね。。

 

まぁね、これだけ結婚できるできないだの、

モテ○○だの、そういうので日々脅されているとさ、

素で生きていくことは難しい。

お笑い好きな女はモテないとかさ。

女に面白さ求めてないとか。

もうそういう意見全てが、正直よくわからない。

関わらないで生きていきたいよ。。

ふー。

今日やっと、引っ越してから3ヵ月たってまともにネットにつながったよ。。

やっぱPCが使えないと私はダメだな。。

スマホではブログは書けない。

PCのディスプレイで見ないとぴんと来ない。

ブログが書けないと頭の中の整理ができない。

もしくはテレビとかが見れない環境にならないと、

職場と家の往復だけだと混乱する。

メンタルがおかしくなる。

 

PCとともに固定電話も復活して、自宅Wi-Fiも復活。

固定電話っていってもNTTじゃないので、

月額は1000円くらい。

で、なんとなく入っていたデータSIMも解約。

引っ越してから全くつながらなかったドコモのWi-Fiも解約。

 

地方に住んでいて困るのは、物件にネットがあまりついてなかったり、

今回のようにがっつり工事しないといけなかったりして、

だいぶしんどい。

宅内・宅外で4時間もかかったんだよ。

めちゃくちゃ精神的に負担。休みもつぶれるし。

 

そういえば、今の職場は同期がもう半分以上やめたけど、

同期の人で本業がコンサルの人がいて。

その人に勧められて、家で何か布製品とか作って売ろうかなーとか考えだした。

少し縫い物とかも習いたいし。

 

とりあえず暑さが落ち着かないときついな。

2か月間ずっと暑くて気持ちが切り替わらない。。

はぁ。。

職場の人らの、

人としてのレベルの低さにどうかと思い、

とうとう昨日、「もう辞めたい。他の仕事紹介して」と、

担当者に訴えたわけです。

 

そのことを某SNSに書いてたところ、

見知らぬ若い男性からコメントついてて、

「ほんと職場はクソが多いですよねー。

自分は人間関係に恵まれててよかったー」とのこと。

 

男性の共感能力のクソさはこういうことよ。

これさ、男性同士ならどうってことないやりとりなんでしょ?

はっきり言って理解不能

今まさに「辛い」と言っている人間に対して、

「よかったー自分は恵まれてて」とは、

まさに弱っている人間をさらに蹴っ飛ばす発言じゃないのか。

 

私は幸い、怒りはもう感じない。

「あーまたバカか」と思うだけだから。

けど怒りを感じる人は大変だよ。はあちゅうみたいに。

いちいち感情的になっては炎上。

まぁあの人の場合はただの被害妄想だけどさ。

 

この前のアスペサイコ野郎にしても、

「人の痛みがわからない」というのは、

自分がたとえばカッターで指を切った経験すらないというのか、

と神経疑う。

転んでケガをしたことすらないのか。

そういうとき痛いだろ。

それ思い出せば他人の痛みを想像することは可能だろうが。

 

今まさに辛くて弱っている私が何故、

通りすがりのバカの「自分は恵まれててよかったー」との発言に、

「よかったですねー」と共感し優しい言葉さえかけなくてはいけないのか。

ただただ呆れるばかりです。

 

なので、たまに普通に共感ができる男性が貴重に思われモテたりする。

当たり前だよ、

そんな無神経な人間と一緒にいる意味ねえもん。

のうのうと「自分は楽でよかったー」とか言う人間が周囲に普通におり、

疑問さえ感じたことのないポンコツと関わったら、

そいつ由来で芋づる式に無神経な人間と関わる羽目になる。

そんなバカの周囲にはどうせバカしかいないことがほとんど。

 

とりあえず明日は行かないよもう。

もう十分です。

うーん。。

最近のこういう記事って、女性側のモノローグみたいなもんだけ見ても、

正直言ってよくわかんないところがある。

 

anond.hatelabo.jp

peek-a-boo.love

特に後者については、

ツイッター見ると「は?」って感じになるよ。

結局のろけかい、みたいな。

それも強がってるのかもしれないけど。

 

世間には、常に常に恋愛の話をしてないと死ぬのかな?

みたいな女の人が割といるけど、恐怖を感じる。

恋愛に関わる格言とかをうっとり聞いたり、

恋愛評論家みたいなやつの言うことにいたく共感したり。

関係ないけど中谷彰宏の本とかにのめり込んでたり笑。

その人の感情の激しさに引いてしまう。

自分自身も感情の激しい面はあるけど、

恋愛話を嬉々として振ってみたり、

そういった関係の本を喜んで読むような感性はあんまない。

分かりやすく言うと、

沢田知可子の「会いたい」とかに大興奮したり、

プリプリの「M」を聞きながら涙ぐんだりする人達。

これらのものは、その世界観云々の前に、そういう人らの反応が怖すぎて、

もはや冷静に聴くことができない感じになってしまってる。

なのでむしろ、男性の多い職場とかで、

あんまり口きかないで働く方が楽だなあと思うことがけっこうある。

ただ、それがあまりにも続くと心がカラカラになって、

甘いものを食べたり、かわいいものがたくさんある雑貨屋で癒されたり、

女性と話して優しくしてもらいたい、

と思ったりもするけど。

 

アスペ男にのめりこんでいる女性は、やっぱ若いんだろうな。

この男と結婚した場合、年取ってだんだん丸くなったりするんだろうか。

一切変わらず病気の時も無視して「掃除しろ」とか言われたら、

本気で殺したくなるかもしれない。

 

ただ、もっと昔は「別れろよ」という意見は主流ではなかった。

今はむしろ「メンヘラ」「アスペ」で片づける空気が強いけど、

女性はそういう面があって別れられない、というのがけっこう受け入れられていて、

「なにその男。距離置けよ」みたいなほうが冷たいみたいな扱いだった。

別れるとか距離を置くということが、根本的な解決になるかはわからないし、

多分ならないんだろうけど、

一緒にいる人間の心が壊れるのはやっぱ避けるべきだと思う。

人生の時間って有限だから。

そんな鬼畜に振り回されて浪費するような時間は正直ないよ。

 

たださ、「恋愛に執着しない方がいい恋愛ができる」

みたいな説は都市伝説だと思う。

なんかそういうのは、自分でどうこうできないと思うんだよねえ。。

執着しようがしまいが、できないときはできないよ。

恋愛に「これが答えだ」みたいなのが簡単にわかれば苦労しない。。。

なので偉そうに語る輩とか、

女性の気持ちを代弁するようなゲイみたいなのは信用できないなあ。。