リバーズ・エッジの映画の情報を見てたら、
コミックが読みたくなってきた。。
途中までは読んでるはずだけど(キューティーに載ってた)、
読破はしてないと思うんだよね。
あの当時の、山瀬まみみたいな、
バンド好きみたいな女の子のファッションとか、
キッチュなフォントが流行ったりしたあれはなんなんだろうね。
髪の毛外ハネにしたりね。
「キューティー」っていう雑誌名が象徴してるよね。
で、あのマンガに出てくる山田君って、私の友達に似てて(ゲイではない)、
当時、ああいう女子っぽい子ってオシャレカテゴリーに入ってた気がする。
小椋冬美さんの「パーティーがはじまる」というマンガでも、
ああいう男の子が出てきて、オシャレに描かれてる。
今思い出しても、「何だったんだあれは」と言うしかないんだけど、
昨今の、りゅうちぇるみたいなメイクを職場で普通にしている若者とか、
なんかそういう感じなんでしょうね。
やたらにチークが濃い。
われわれの場合は、ああいうキッチュなものの流行は一瞬で終わり、
その後細眉だのコギャルだのアムラーだのに取って代わられるので、
平たく言えばヤンキーに駆逐されたと。
そしてそのヤンキーやギャルの流行は非常にしぶとく、長く続いたよね。
良いものは1~2年で終わるのにね。
思うんだけど、そういうユースカルチャーを一切通らないで、
淡々と自分を貫いて生活しているほうが、
いろんなことが普通に、飛躍的にはかどるはずなんだけど、
日常に流されるという魔の手がきつい。
流行に特に敏感でない子は、
同世代から激しく嘲笑されるという憂き目にも遭うしさ。
昔なんて、ポロシャツの裾をパンツにインしているだけで、
周囲にボロカスにバカにされ嘲り笑われた時代があったけど、
今は、特に女性はパンツにインするのが流行りでしょ。
そういうの全てがめんどくさいよね。
キムタクが着てたブルゾン着てりゃかっこいいとか。
全然かっこよくないから。
しかしまあ、リバーズ・エッジが今映画化されても、
これといって違和感がないということは、
時代が進んでいないということよね。
けど、昔のガロ系のマンガを読んだ時も、けっこうそんな感じだった。
林静一とか。
「あー、こんな絶望的なマンガは昔からあるんだ、
こんなネガティブな感情を表現してたんだ」というね。
変わったことといえば、表向きにはネガティブな感情を、
「出してはならない」との社会的な圧力が高まったことかな。
というかね、昔の方が、
悩んでいる人を無視したり、かえって叱責したりという風潮強かったんだけど、
おそらく、ネガティブな感情の行き場は、
SNSの普及でもっとなくなっているにも関わらず、
対処が全くできていない状況なのかもしれない。
例の事件の、ツイッターでのやりとりなどは、
「ああやってバーチャルでやりとりすることによるガス抜き」かと思いきや、
実際会っちゃう人がけっこういるというのが、
なんとなく戸惑うところ。
自分が犯罪者になることを厭わず「殺してあげる」とかさ、
言われても嫌よね。
頭ごなしに否定せず、ある程度の共感は必要だろうけど、
殺してあげるというのは違うだろ。。